本川根町千頭の標高1,210mに砦遺構発見!

平成15年(2003年)に刊行された『本川根町史』通史編1・第一章「遠江国山香庄と駿河国徳山」に、「山香庄マトお尾羽」(251頁)について述べられている(執筆者:大塚勲氏)。

本川根町千頭の敬満大井神社所蔵の鰐口の銘について、昭和7年(1932年)発行の『静岡県史料』第一輯を引用して解説しており、鰐口に刻まれた「大盤神社」が、千頭駅から北西に延びる山岳稜線を4〜5 km登った標高1,000m付近の「マトウハネ」にあったと記している。さらに興味を引いたのが『ここには城が構えられていたとも云われていて、北側斜面の字が「城下」となっている』のフレーズだった。

ということで去る3月30日(土)、平井・水野・小川の3名で探索に出かけた。

標高1,210mの発見地まで3時間半を要し、ガレ場や細く険しい稜線を幾度となく越え、もうこの先には城砦など無いだろうと諦めかけようとした時、たどりついた小ピーク(標高1,210m)に腰曲輪と虎口、その上段に主曲輪と付随する低土塁跡を発見した。

主要部と土塁

主要部と土塁

マトウハネ砦腰曲輪

腰曲輪

 

さらに周囲を隈無く調べると主要部南側を下った稜線尾根に明確ではないものの2条の堀切跡が、反対の北側20m下に横堀状の窪地が50m続き、その先には標高1,267m(三角点)の人工的な平場があるなど砦空間として相応の縄張りを確認することができた。

主要部は現在植林で眺望はよくないが、東南東に小長井城を、南に徳山城、南西から北西にかけては北遠方面を見通せる地理的環境となっている。とくに注目しているのは、昨年12月ここから稜線伝いに南4.5kmの小井平集落北側、標高780mの尾根上に新確認した砦跡と思える場所との関係性で、中世における軍事的ないし諜報的な山岳ルートの存在を彷彿させてくれる点である。いずれからも板取山〜蕎麦粒山を経由して春野町や水窪へと通じ、敵情視察やゲリラ的な軍事行動の中継地として機能したことが推測できる。

横堀状遺構

横堀状遺構

 

腰曲輪での縄張作図

腰曲輪での縄張作図

本遺構の詳しい報告&考察については、今夏発刊予定の機関誌「古城」第57号・調査レポートで論じてみたい。なお、発見当日は帰途の時間ぎりぎりまで、水野会長、小川理事に縄張作図調査をお願いした。その公表も同誌とします。(平井)

ご注意)険しい山岳ルートですので、単独踏査や軽装備での登山は避けてください。

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