鳥羽山城跡現地説明会の報告

さる9月29日(日)鳥羽山城跡発掘調査現場の見学会が行われ、当会として水野会長、会員の乗松、宮川、寺島、小川、午後の部には望月副会長と会員の澤田さん、また、遠方(埼玉県)より中世城郭研究会の関口和也氏も参加しました。

本丸入口の隅石(初期的な算木積)

本丸入口の隅石(初期的な算木積)

駐車場に集合し賑わう参加者

駐車場に集合し賑わう参加者

現地でお逢いした中世城郭研究会の関口氏

現地でお逢いした中世城郭研究会の関口氏

鳥羽山城は、徳川家康が天正三年に武田方の二俣城を攻略するために築いた陣城として知られ、天正十八年、家康の関東移封後は豊臣秀吉臣下の堀尾吉晴が領主となり、二俣城と共に石垣等が整備され、庭園や広い大手道がある鳥羽山城は領主の日常生活や儀式の場とし、二俣城は大規模な堀切を設けるなど戦を意識した作りとなっている。

大手道

大手道

今回の見学会は、本丸西側で新たに発見された大規模な石垣群を中心に過去の発掘調査現場を合わせて発掘担当者から丁寧な説明ありました。

大手道の雨水抜き溝

大手道の雨水抜き溝

石垣は自然の石をそのまま積み重ね、大型の石の間には小石を詰める「野面積」の手法が用いられ、本丸を囲む総延長170mにおよぶ(鉢巻石垣や腰巻石垣…説明員の呼称)石垣群は圧巻でありました。

織豊系の石工技術を伝える石垣

織豊系の石工技術を伝える石垣

同城は土づくりの実践的な中世城郭から、政治の場としての性格を帯びた高い石垣を持つ城郭へ移り変わる渦度期の姿を良好に示しており、城郭の変遷を探る上で指標的な事例として注目されています。(小川)

腰巻石垣

腰巻石垣

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