第243回見学会のご案内

整備された西尾城と吉良の城砦

長雨、豪雨により全国各地で土砂災害、浸水などが頻発しておりますが、皆様お住まいの地域の安全性はいかがでしょうか? あらためて地域・我が家の防災対策に目を配り万が一に備えたいものです。さて、9月の見学会は三河シリーズ5回目となりますが、東条・西条吉良氏の城跡を訪ね、高い格式を誇りながら戦国大名に成りきれなかった足利家一門・吉良氏興亡の歴史風土を探ります。吉良氏に仕えた幡豆の小笠原氏の寺部城、家康に攻められた東条城、再建整備が進み天守台も見ることのできる西尾城など、多彩な城郭を探訪。また、今川氏ゆかりの華蔵寺や幡豆歴史民俗資料館、西尾市資料館なども時間の許す限り見学いたしますので、ご期待の上ご参加いただきたいと存じます。

  • 実施日:平成26年9月21日(日曜日)  *雨天決行
  • 見学先:愛知県西尾市
    寺部城跡・幡豆歴史民俗資料館・東条城跡・華蔵寺・黄金堤(鎧ヶ淵古戦場)・西尾城跡・西尾市資料館  〔脚力レベル: 2/5 ★★☆☆☆ 〕
  • 参加費:6,000円 当日バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス 〔集合場所:静岡駅南口・ロータリ交差点付近〕
  • 身支度:ハイキング程度の服装・弁当飲物類・雨具
  • 担当者:川村副会長・斉藤理事・澤田理事
  • 締切り:9月10日(水)迄にお申込ください。
    バス定員(28名)になり次第締め切ります。
    お申し込みはこちらから(非会員の参加も大歓迎)
    メールには必要事項および乗降希望場所を明記してください。
  • 日 程:
    8:00 静岡駅南口発 → 東名・静岡IC → 8:20焼津 IC → 8:40菊川 IC → 9:00 浜松 IC → 9:10浜松西 IC → 新城PA → 音羽蒲郡IC →
    10:45 ~ 11:45 寺部城跡・歴史民俗資料館  → 12:00 ~ 13:00 東条城跡(昼食)→
    13:10華蔵寺(約30分) → 13:50 ~ 14:00 黄金堤(鎧ヶ淵古戦場)  →
    14:10 ~ 15:30 西尾城・西尾市資料館  →(帰路)→ 18:30 静岡駅南口帰着

主な見学先の概要
【寺部城】(西尾市寺部町堂前)

寺部城縄張図『寛政重修諸家譜』の小笠原氏によると、永正11年(1514)に早川三郎が籠っていた寺部城を、小笠原定政が攻めて居城としたと云われている。戦国期の城主である小笠原広正・広重は、始め今川氏に仕えていたが、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦後に小笠原広重は本多忠勝より説得を受けて松平氏に属して各地を転戦する。天正18年(1590)に家康の関東移封に従い、富津(千葉県富津市)に移り船手の役を務めている。寺部城は、標高約30mの城山に築かれていて、Aの大堀切に分断された主郭㈵と一段下がった曲輪㈼など段状に曲輪が配されている。主郭の北東に土塁があり、一方の南西側は段状の曲輪および麓に「ヤシキ」と呼ばれる居館跡と思われる区画があり根小屋式を形成していたことが解る。三河湾にも近接し、小笠原氏が後に船手の役を務めていることから水軍との関連が考えられ、海城の運用・機能も考察される。


【東条城】
(西尾市吉良町駮馬字城山地内)

東条城画像東条城は承久年間(1219~22)に三河守護職足利義氏が築いたのが始まりとされ、3男義継が配される。義継は東条吉良氏の祖となり長くこの地域を支配。室町時代に入ると足利一門として重用され4代貞家は奥州管領に抜擢され、応仁の乱(1467~)では山名宗全に味方し西条吉良家と対立状態となる。戦国時代に入ると三河の松平家と近接し当時の当主吉良持広は松平家当主清康の妹を娶っている。又、吉良家は今川家に属していた為、桶狭間の戦い以降、織田信長に従った家康と対立し永禄4年(1561)には東条城が攻められ落城、大名家としての東条吉良家は滅亡する(江戸時代に13代義安の子である義定を旗本に取り立て再興、徳川家とは遠戚で足利一門という名門だったことから高家という格式を得て旗本筆頭となる)。その後、東条城には松平家忠が城主となったが天正18年(1590)、徳川家康が関東に移封となり東条城は廃城となった。現在、かつての東条城の城跡は古城公園として整備され、曲輪、土塁、堀の遺構が残っているほか、本丸の大手虎口のあった場所に中世城郭を意識した模擬櫓門、そのわきに模擬櫓(物見櫓)が建っている。

【西尾城】(西尾市錦城町)
西尾城西尾城は、承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられている。足利氏は吉良氏と改め、この地を統治。戦国時代末には、牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主は代わり城域も次第に拡大する。関ヶ原の戦い後、慶長6年(1601)に本多康俊が西尾二万石の藩主として入る。その後、藩主は松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と頻繁に代わるが、いずれも譜代大名であった。寛永15年(1638)、太田資宗が西尾城の大改修を計画し、西尾城の特色の一つである堀と土塁が城下町を囲む「総構え」を企て、井伊直之が工事を受け継ぎ明暦元年(1655)に完成する。明和元年(1764)に山形から大給松平氏が六万石西尾藩主として入城以来、廃藩まで五代続いた。西尾城一帯は、平成8年に本丸丑寅櫓、鍮石門等を復元し西尾市歴史公園として整備された。また、本年3月には、二の丸北側の整備が行われ、天守台などが復元された。

 

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