第243回見学会報告

整備された西尾城と吉良の城砦

実施日:平成26年9月21日(日曜日)
天候:晴
参加者数:24名
見学会担当:川村・斉藤・澤田

9月21日に第243回見学会「整備された西尾城と吉良の城塞」で愛知県西尾市を訪れました。見学場所は、寺部城・東条城・華蔵寺・黄金堤・西尾城です。

昨年の9月の見学会は、雨天で延期した上、変更した日も雨でした。今年は天候に恵まれ、暑いくらいの晴天でした。参加者は24名(男性23名・女性1名)で、9月の見学会としては盛況であったかと思います。

東名高速道路・音羽蒲郡ICを降り、蒲郡市街を過ぎてまず寺部城跡(寺部町堂前)に向かいました。バスは城の東にある西尾市幡豆歴史民俗資料館の駐車場に止めました。まず西尾市幡豆歴史民俗資料館の伴野義広館長から30分ほどのレクチャーを受けました。郷土愛と歴史への思いがこもる熱気あるお話でした。城跡の整備方針としては、イメージが固定するような余計な復元はしない、ということでした。資料館では企画展「幡豆地区の城館」を開催しており、寺部城や鳥羽城に関する展示を見ることもできました。

寺部城跡寺部城腰曲輪寺部城は、資料館の近くにあり、歩いて3分ほどです。看板も出ており、個人で来ても迷うことはないでしょう。北の竪堀跡が城址への登城ルートになっています。竪堀は横堀となり、南の竪堀に架けられた木橋を渡ると、本曲輪の下に出ます。本曲輪は草も刈られ、よく整備されています。右に曲がり虎口から本曲輪に入ります。ここには現在、神社があり土塁も残っています。館長の話では、高さはそのままで特に積みなおすようなことはしていないということなので、かつてはかなり高かったことが想像できます。また、南の眼下には海が見えます。三河湾遠望小笠原諸島の発見者とされる小笠原貞頼は、幡豆の小笠原氏の一族と伝えられており、説明版も置かれています。二の曲輪には西の欠城方向が見えるように、樹木が剪定されていました。館長の話を聞かなければ気づかなかったのかもしれませんが、細かな気遣いを感じました。

幡豆の小笠原氏は、信濃小笠原氏の支族ですが、異なる時代に来た複数の系統が争うことなく寺部城と欠城に共存しました。吉良氏には従いながらも半ば自立していたようであり、吉良氏滅亡後は徳川家康に仕えました。船手となったようです。家康の関東移封とともにこの地を去り、旗本になりました。

つぎにバスで東条城に向かいました。その途中、鳥羽城跡(の跡)を通過しました。残念ながら、私たちがまさにその時に利用している便利な道のために、破壊されてしまったのです。城址(があったことを示す)ポールに気づくドライバーはほとんどいないことでしょう。やがてゆるやかな峠を越えると、右手に東条吉良氏の居城・東条城が見えてきます。また、今回の見学会では訪れませんでしたが、家康が東条城を攻めた時の付城跡の付近も通過しました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA駐車場でバスを降り、東条城の登城口から城に入ります。西の田園地帯が、藤波畷古戦場です。二の曲輪から復元された門・矢倉・柵が見えます。本曲輪で昼食と自由見学の時間にしました。復元された建造物は黒く塗られていましたが、根拠のあるものなのでしょうか。また本曲輪の中を見通せる柵も、すでに老朽化がすすんでいるようにも見えました。ただ、これがなかったら、寺部城ほどの明確な堀・土塁もありませんので低い丘陵上を削平しただけの城址となるでしょう。復元の在り方を考えさせられます。

昼食と見学を終え、華蔵寺に向かいます。ここは近世吉良氏の菩提寺で、墓所もあります。ここから山の中腹を歩くと、花岳寺に入ります。こちらが中世吉良氏の寺です。駐車場には赤駒に乗った吉良義央の像が置かれていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA西尾城に向かう途中に、黄金堤によりました。ここは鎧ヶ淵(善明堤)古戦場でもあります。堤のできる前は、深い淵であったとのことです。永禄4年(1561)4月15日に、今川方の吉良氏が攻め寄せる深溝松平氏を伏兵で破ったとされるところです。しかし、近年この戦いの起こった年が弘治2年(1556)とする説が有力になってきました。それによれば今川方の松平氏を織田方の吉良氏が破った、つまり敵味方が逆になってしまうわけです。また、この堤は吉良義央が築かせたものとされていますが、考古学的にも史料的にも確認できないようです。ただ、ここにも赤駒に乗った吉良義央の銅像があり、思い入れの深さが感じられました。


OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAバスは市街地に入り、西尾城跡公園につきます。まず全員で復元された天守台に向かいました。二の丸に天守がおかれていたのがこの城の特徴です。城内から見ると石垣は低く、こんなものか、という感じでしたが、上って城外を見下ろすとかなりの高さがあることがわかりました。駿府城も天守台の復元が考えられており、賛否が分かれています。西尾城の天守台復元も参考になるでしょう。江戸時代の西尾城は広大な総構を持っていましたが、天守台の西は堀となっている川を隔ててすぐ城外です。すでに「見せる城」となっていたことを感じます。その後、本丸の櫓や資料館を見学し、各人で城跡を散策しました。時間を十分取りましたが、むしろ余ってしまったようでした。

まだ暑い季節でもあり、雨天でも見学できるプランを立てました。渋滞などで時間が延びることも考え、余裕をもたせました。ただ、見学する時間が寺部城では短く、西尾城では長くなってしまったようにも思います。これは今後の反省にいたします。(川村晃弘)

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