第253回見学会「新見解による信玄・勝頼の久野城攻め」参加報告

久野城東側にて

久野城東側にて

久野城本丸跡で水野会長の説明を聴く参加者

久野城本丸跡で水野会長の説明を聴く参加者

高平山砦北側にある遍照寺(本堂及び大仏の裏側に土塁が残存)

高平山砦北側にある遍照寺(本堂及び大仏の裏側に土塁が残存)

発掘で確認された高平山砦南部の堀跡付近にて

発掘で確認された高平山砦南部の堀跡付近にて

11月20日(日)、前日の雨も上がった晴天の下、第253回見学会「新見解による信玄・勝頼の久野城攻め」が予定どおり開催されました。見学会は、バスの定員を上回る36名の参加者があり、一部の方は自家用車で移動をお願いするほどの大盛況の見学会となりました。

一行は、まず今回の見学会のテーマの「標的」となった久野城を見学しました。同城は袋井市の教育委員会によって発掘調査及び整備が行われており、見学しやすい状態になっています。同城は織豊期に豊臣系大名の松下氏が入った際に大規模に改修され、江戸初期に北条氏重により徹底的に解体が行われているため、それ以前の状況を伝える遺構はわずかですが、それでも16世紀後半に武田軍と徳川軍が対峙していた際の位置付けを確認することができました。

 

次に、本庄山砦跡の麓を通って以前発掘調査で発見された大規模な横堀跡を見学した後、最近水野会長らによって発見された高平山砦跡に向かいました。同砦跡の北側には江戸時代に造られた大仏のある遍照寺があり、一行はそこで昼食をとりました。その遍照寺の本堂北側には、城郭に関連するものかどうかわかりませんが、土塁が残存しています。

昼食後、森町教育委員会の北島恵介氏の案内で、いよいよ高平山砦跡の現地へ。砦跡のあった丘陵上は弥生時代の集落遺跡や古墳群があり、古くからの人間の生活の跡がみられました。それらを横目に見ながら南側へ行くと東西に少し窪んだ場所があり、北島氏がそこを試掘した結果、堀状の遺構が出てきたとのことでした。そして更に南に行き、東側の斜面下を見ると、大きな「横堀」がありました。本庄山砦の発掘調査の際に発見された横堀と類似しており、高平山砦は武田信玄・勝頼が元亀~天正年間に久野城攻めの拠点として築いた砦である可能性が考えられます。

高平山砦南東の横堀(!?)

次に、飯田城を見学しました。この城は、当初は今川氏の被官である山内氏の居城であったということですが、同氏が徳川家康に滅ぼされ武田信玄が遠江に侵攻した後は、徳川軍・武田軍の陣城として活用された可能性が高い、とのことです。参加者は水野会長の説明を聴きつつ、土塁や堀切、虎口など見応えのある遺構を丹念に観察していました。

飯田城物見曲輪の説明板前で水野会長の説明を聴く参加者

今回は、元亀~天正年間における武田・徳川両軍の城郭遺構を訪ねた見学会でしたが、高天神城の攻防とはまた一味違った両軍のせめぎ合いの様相を垣間見ることができ、充実した見学会であったと思います。

(文責:望月保宏)

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