第254回見学会のご案内 

井伊氏の牙城・三岳城と直虎

今年もあと数日を残すばかりとなりました。大河ドラマ「真田丸」は最初から最後まで高視聴率を維持し、真田氏の人気はもちろんですが戦国中世への興味関心を、さらに高めたのではないかと思います。
来年はいよいよ、本会名誉顧問の小和田哲男氏により時代考証が行われる「おんな城主 直虎」が始まります。歴史好きな方にも余り知られていない女城主・直虎とは、一体どんな女性だったのか、なぜ男子名を名乗ったのか等々、興味深いドラマになるのではないでしょうか。そんなことから浜名湖の北部地域は、すでに直虎一色の感があり、井伊谷を中心に多くの歴史観光客で賑わいを見せています。
新年早々の見学会は、井伊家1000年の歴史発祥地である井伊谷に所在する居城「井伊谷城」と詰の城「三岳城」をメインに、同家の氏神「渭伊神社」、菩提寺「龍潭寺」と宗良親王墓所「井伊谷宮」、さらには大河ドラマの世界観が楽しめる「おんな城主直虎・大河ドラマ館」等を見学したいと思います。
「真田丸」の時代と併行するように遠江国で繰り広げられた井伊家の数々の危機やそれ以前における同地の戦乱模様を山城の観点から探求してみたいと計画しました。 大勢のみな様のご参加を期待しております。

  • 実施日:平成29年1月15日(日曜日) *小雨決行
  • 見学先:浜松市北区引佐町 井伊谷城・三岳城・渭伊神社・天白磐座遺跡・龍潭寺・井伊谷宮・大河ドラマ館〔脚力レベル: 3/5 ★★★☆☆ 〕
  • 参加費:会員4,500円 非会員5,500円 ※大河ドラマ館入館料含む
    当日バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス 〔集合場所:静岡駅南口・ロータリ交差点付近〕
  • 身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
  • 担 当:乘松理事・各務理事・平井事務局
  • 締切り:定員になりましたので締め切りました
  • 日 程:※メールには必要事項および乗降希望場所を明記してください。
    8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:30焼津IC → 8:50菊川IC → 9:05 袋井IC → 9:15 浜松IC → 9:25 浜松西IC → 9:45井伊谷城と周辺 → 11:30三岳神社~三岳城(昼食)→ 13:50 渭伊神社・天白磐座遺跡→ 14:30  龍潭寺・井伊谷宮→ 15:45大河ドラマ館 → 17:10 浜松西IC → 各IC → 18:20 静岡駅南口帰着

龍潭寺から井伊谷城、三岳城を遠望

主な見学先概要

【井伊谷城跡】浜松市北区引佐町井伊谷にある標高115mの小高い丘にある。寛弘7年(1010)井伊共保によって築かれたと云われるが定かではない。井伊氏は藤原氏の末裔を称し、遠江国司の藤原共資の子共保が井伊谷に住んで井伊氏を名乗ったことに始まるとされる。南北朝時代には井伊道政は後醍醐天皇の皇子宗良親王とともに三岳城に籠もり南朝方の拠点となったが北朝方の高師泰・仁木義長らに攻められ落城した。その後、井伊氏は今川氏に属し永禄3年(1560)桶狭間合戦では井伊直盛が討死している。家督を継いだ井伊直親は永禄5年(1562)今川氏真に謀叛の疑いをかけられて朝比奈泰能によって討たれた。直親には男児がいたがまだ幼小であったため、直親の養父で直盛の娘が女性の身でありながら直虎と改称して当主となる。やがて直親の子が成長すると直政と名乗って徳川家に仕えた。これが徳川氏に仕え徳川四天王の一人に数えられた井伊直政で、江戸時代には彦根藩主となった家系である。井伊家の家督は天正10年(1582)まで直虎が当主で、その死後直政が継いでいる。伊谷城は井伊谷川と神宮寺川が合流する地点の北にある南へ張り出した山塊の先端が小高くなった城山に築かれている。現在は井伊谷城跡・城山公園として整備されていて、明確な虎口と円形に近い削平地や土塁状の高まり、切岸などがよく残っている。

【三岳城跡】浜松市北区引佐町にある城跡。標高466mの三岳山頂に残る山城で、鎌倉時代後期からこの地を治めていた豪族、井伊氏の詰の城跡である。南北朝時代の延元4年・暦応2年(1339)、南朝に属していた井伊氏は後醍醐天皇の皇子・宗良親王をこの三岳城に迎え、親王とともに南朝復興を画策する。しかし状況は好転せず、翌年、高師泰と仁木義長が率いる北朝足利軍の攻撃によって落城し、親王は大平城に逃れた。
時を経て、永正11年(1514)、井伊氏は三岳城にこもって再び今川氏に対して兵を挙げるが、今川氏親の将、朝比奈泰以に攻撃されて城は再び落城し、以降、井伊氏は今川氏の配下となった。現在、出丸が築かれていた三岳神社付近まで車で行くことができ、そこから山頂への途中には桝形門跡や大規模な石塁群、堀切りが確認できる。山頂は東西10m、南北20mの平場となっていて本丸があり、周囲には空堀や土塁が残っている。昭和19年(1944)に国の史跡に指定されている。

【渭伊神社・天白磐座遺跡】創立は不明だが、貞観8年(866)に正6位に叙せられたとの記述が残る由緒正しい神社。井戸や井水を祭祀対象とした神社で、井伊氏発祥とともに氏神になった。南北朝動乱期に龍潭寺の境内から現在地に移ったといわれる。本殿背後の丘には、古墳時代の巨石祭祀の遺跡・天白磐座遺跡があり、高さ7mに及ぶ巨石3つを数十個の岩が囲んでおり祭祀場の雰囲気を漂わせている。

【龍潭寺】龍潭寺(りょうたんじ)は、天平5年(733)、行基によって開かれたとされ、当初の寺号は地蔵寺であったが寛治7年(1093)に井伊共保が葬られた際にその法号から自浄寺と改められた。平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされる。元中年間(1384 – 1392)、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの寺を中興したともいう。戦国時代の永禄3年(1560)に戦死した井伊直盛がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。直盛の死後井伊家の当主となった井伊直親、直盛の娘で直親の死後の永禄年間に井伊家を取り仕切った井伊直虎の墓もあり、直親と直虎の墓は隣り合っている。関ヶ原の戦いの戦勝にともない、井伊氏が近江国に転封となってからも井伊氏の外護を受け、江戸幕府からも朱印状を与えられた。

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