第256回見学会〈一泊二日〉ご案内

真田氏、沼田攻略の岩櫃城・名胡桃城をゆく

恒例の一泊二日見学会は、昨年の大河ドラマ「真田丸」ゆかりの城郭探訪となります。大河ドラマ「真田丸」では、弱小の戦国大名・真田一族の本領を守る智謀が見所になりました。二年前の「北信シリーズⅠ」で、真田家を存続させた真田信之の松代城(海津城)を訪ねていますが、今回は北関東の真田領であった沼田地方へ出掛けます。この地では、後北条氏との戦いで有利に戦い、秀吉の小田原征伐の切っ掛けとなった有名な名胡桃城をはじめ、最大拠点の岩櫃城も訪ねます。日本の戦国史上、これだけ名を馳せた真田一族の激戦地城郭の旅を、さわやかな季節の中で堪能したいと思います。

  • 実施日:平成29年5月13日(土) ・14日(日) *雨天決行
  • 見学先:群馬県沼田市・吾妻郡の城郭 〔脚力レベル: 3/5 ★★★☆☆〕
  • 募集数:28名(先着申込み順。定員になり次第締め切ります)
  • 参加費:25,000円(交通費・宿泊費・夕食費含む) ※当日バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス〔出発地:静岡駅南口・セブンイレブン付近〕
  • 身支度:ハイキング(山登り)の服装と装備・弁当飲物類・雨具
  • 担当者:水野会長・小川理事
  • 申込み:募集定員になったため締め切りました
  • 締切り:5月2日(火)。メールには必要事項および乗降希望場所(静岡駅南口・東名高速IC・PA)を明記してください。


《 一日目の日程》
5月13日(土曜日)
7:20 静岡駅南口出発 → 東名高速道路・静岡IC → 8:40愛鷹PA → 圏央道  →
10:20 関越自動車道・前橋IC → 11:00~17:30   箕輪城・白井城・長井坂城の見学
→ 18:00 沼田パブリックホテル チェックイン

❶宿泊先:沼田パブリックホテル
沼田市西原新町1522-1  TEL 0278-22-6500
参加者全室シングルルーム 朝食付 @6,500円(税別)
*キャンセル料必要となります
❷夕食と小宴会:「姫本」
沼田市東倉内町甲205 TEL 0278-22-2052
宴会コース飲物込(5,000円)(税別)
*❶❷いずれも参加費に含まれています

《二日目の日程》
5月14日(日曜日)
8:00 ホテル出発 → 8:20~15:00 沼田城・名胡桃城・中山城・岩櫃城の見学  →
〈※移動の途中、コンビニで昼食弁当類を各自調達していただきます〉
→ 15:30 関越自動車道・渋川伊香保 IC → (関越自動車道・圏央道・東名高速道路)→ 18:40愛鷹PA → 19:30 静岡駅南口帰着・解散

《見学先概要》
【箕輪城】
 国史跡指定
箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上を中心に縄張された平山城で16世紀初頭に長野氏が築城し、その後4代にわたって長野氏の本拠でした。武田氏の西上野侵攻に際して、長野氏はこの箕輪城を本拠にして最後まで抵抗しました。永禄9年(1566)に武田信玄に落とされるとその後は、武田氏(1566~1582年)、織田氏(1582年)、北条氏(1582~1590年)、徳川氏(1590~1598年)と次々と支配者を変えましたが、その度に各大名の有力家臣が城主として配置されています。特に最後の城主・井伊直政は、徳川家康の家臣のなかでは最大石高の12万石で封じられています。その8年後の慶長3年(1598)、井伊直政は城を高崎に移し、箕輪城は廃城になりました。
高崎市では史跡整備のための発掘調査を平成10年度より開始し、その結果、最後の井伊直政期を中心に 門跡、石垣、石組の排水溝、土塁、堀、掘立柱建物がみつかっています。特に堀の規模と虎口周囲の残りのよさが特徴であり、そうした特徴を活かした史跡の環境整備・遺構整備に平成23年度より着手しています。

【白井城】渋川市指定史跡
白井城は、利根川と吾妻川の合流点に北から突き出した台地の先端に築かれ、自然の要害を利用した梯郭式の平城です。『長尾正統系図』には、鎌倉時代の康元元年(1258)上野国守護上杉氏の家臣・長尾景煕が白井の庄を与えられた頃から築城が始められたと伝えられています。
関東管領上杉憲実の信任の厚かった長尾景仲(員賢)が出ることにより、本格的に築城(1430-50)され、景信・景春・政景と受け継がれました。その間、越後長尾氏(上杉氏)→甲斐武田氏→織田家臣滝川氏→小田原北条氏の配下となって活躍しました。長尾氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家に攻略され滅亡しました。
その後を徳川家康の譜代・本多広孝・康重父子が2万石で封ぜられ、康重の岡崎移封後、松平康長・井伊直孝・西尾忠永・本多紀貞と続き、寛永元年(1624)紀貞卒去と共に廃城となりました。

【長井坂城】群馬県指定史跡
永禄3年(1560)、上杉謙信が沼田城を責めたときここに陣を置いたので、このとき既に城があったという説もあります。北は永井沢の急崖、西は利根川の断崖に臨む崖端城。
長尾氏(北条方)の居住する白井城の支城の一つで、同勢力の最北端に位置し、北条氏の沼田攻略の最前線基地でもあり、真田氏(武田方)との間で争奪が繰り返されました。天正18年(1590)小田原城の落城と共に廃城となりました。遺構は良好に残っており、北条流縄張りの極意を随所に見ることができます。

【沼田城】沼田市指定史跡
天文元年(1532)に沼田氏2代万鬼斎顕泰により築かれました。天正18年(1590)に真田昌幸の長男・信之が沼田領2万7千石の初代城主となり、その後5代91年間にわたり真田氏の居城となりました。慶長2年(1597)には5層の天守閣を建造されて以降、城下町として発展整備されていきます。天和元年(1681)、江戸幕府に領地を没収され城は完全に破却。天守閣は再建されず、後に本多氏が入封しましたが、館御殿造りでした。次いで黒田氏2代、土岐氏12代の居館となりましたが、明治になって版籍奉還し、館も取り壊されました。時を経て本丸・二の丸跡が整備され、現在の沼田公園となりました。

【名胡桃城】群馬県指定史跡
天正6年(1578)、甲斐の武田勝頼の命を受けた真田昌幸が吾妻・利根に進出、名胡桃城を拠点に対岸の明徳寺城を攻略。さらに沼田城を調略により手に入れました。その後も真田氏と北条氏による領地争いが続き、天正17年(1589)7月、豊臣秀吉はこれを裁定し、利根川を境に東部一帯を北条領、西を真田領としました。この裁定を不服とした北条方の沼田城代・猪俣邦憲は、名胡桃城を攻撃し不法占拠しました。秀吉はこれに激怒し、北条氏に宣戦布告、小田原攻めが行われ北条氏は滅亡しました。

【中山城】
天正10年(1582)甲斐の武田氏が滅亡し、織田信長の武将滝川一益が上野一国を与えられましたが、その信長も本能寺の変で横死します。滝川一益が上野を引き上げると、北条氏直、徳川家康らが旧武田領に侵攻開始。そんな中、真田昌幸ははじめ北条氏に帰属しますが、その後、徳川方に転じてしまいます。すると、北条氏直は真田の拠点である岩櫃城と沼田城の中間にある中山の地を押さえる為、北条氏邦を向かわせ占拠させました。このとき中山の地に築かれたのが中山城で、北条氏の真田攻めの拠点となりました。
北条氏はかつての沼田城主沼田顕泰の子赤見山城守を中山城に置いて守らせました。しかし、その後の天正14年(1586)に真田方の攻撃により落城、赤見山城守もこのとき討死したといわれます。

【岩櫃城】
岩櫃城は真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた城として知られています。築城時期および築城者については諸説ありますが、応永12年(1405)に斎藤憲行が築いたとする説や真田氏による築城だとする説もあります。沼田城が真田氏に攻略されたのちは、その支城として扱われました。織田信長による甲州征伐の際、昌幸は武田勝頼に新府城から岩櫃城に逃るよう奨めたものの、勝頼が小山田信茂の岩殿城へ逃げることを選んだため武田氏は滅亡しました。
その後、真田氏は豊臣秀吉や徳川家康に従属して大名として生き延び、岩櫃城も存続しましたが、幕府よる一国一城令により廃城となりました。
大河ドラマで人気スポットとなった岩櫃城の広大な縄張りや天にむかって聳える岩櫃山の絶景は、今回もっとも見応えのある見学地と言えます。

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