第259回見学会のご案内

北条早雲(伊勢宗瑞)と伊豆狩野氏の戦い
― 柏久保城・大見城・狩野城 ―

 新年1月の見学会は、新シリーズとなりますが、北条早雲こと伊勢宗瑞にスポットをあてた見学会を計画いたしました。今川氏中興の祖・氏親を支えて領国拡大策に大きく貢献した早雲の戦歴を何回かに分けて勉強していきたいと思います。
明応2年(1493)、伊豆に侵攻した北条早雲は約5年間かけて伊豆を制圧していきますが、その中で抵抗勢力の狩野氏との抗争の舞台となったと考えられる中伊豆地域の柏久保城、大見城(早雲側)、狩野城(狩野氏側)の縄張りを観察し、それぞれの縄張構造の比較や、3城がその後(天正期など)使用された可能性の有無等について考察いたします。いずれの山城も遺構の保存状態がよく、明応年間の構造あるいは戦国末期の構造を学ぶ上で、指標となる城郭ですので、奮ってご参加いただきたいと存じます。

  • 実施日:平成30年1月21日(日曜日) *小雨決行
  • 見学先:柏久保城・大見城・狩野城〔脚力レベル: 3/5〕
  • 参加費:会員5,000円  非会員5,500円  当日朝バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス 〔集合場所:静岡駅南口・ロータリ交差点付近〕
  • 身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
  • 担 当:望月副会長・宮川理事
  • 申込み:定員になりましたので締め切りました
  • 日 程:8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:30 富士川SA(トイレ休憩)→ 8:50 東名・沼津IC → 伊豆縦貫道 → 9:15 道の駅・伊豆ゲートウェイ函南(休憩)→ 9:45 伊豆縦貫道・修善寺南IC → 10:00 伊豆箱根鉄道・修善寺駅 → 10:10 ~ 11:30 柏久保城跡12:00 ~ 13:30 大見城跡(昼食)→14:00~ 15:30 狩野城跡 → 15:45 伊豆縦貫道・大平IC → 16:15 伊豆縦貫道・伊豆長岡IC → 16:30 伊豆箱根鉄道・韮山駅 → 16:50 道の駅・伊豆ゲートウェイ函南(休憩)→ 伊豆縦貫道 → 17:15 東名・沼津IC → 東名・静岡IC →18:30 静岡駅南口帰着 解散

見学先の概要 見学先周辺地図
【柏久保城】狩野川支流の古川と大見川が合流する地点の東側、標高180mの愛宕山上に築かれた山城である。同城は鎌倉時代初期に幕府の御家人である狩野氏によって築かれたという伝説もあるが、確実な史料で同城の存在が確認できるのは明応6年(1497)、4年前の同2年に伊豆に侵攻した伊勢宗瑞(北条早雲)と狩野氏との戦いの際、宗瑞に従った「大見三人衆」が同城を守ったことが記された記事による。城跡は、山頂の愛宕神社周辺を本曲輪(主郭)として東側に曲輪2、曲輪3を連ね、狩野氏と対峙するこれらの曲輪の南側に幅約2mの土塁を設けた構造となっている。また本曲輪西側には堀切を設け、西側尾根筋からの敵の攻撃を遮断している。また曲輪2の北側には「新九郎谷」と呼ばれる急峻な谷地形が残っており、同城が自然地形を巧みに取り込んで築かれた要害で、宗瑞が狩野氏の居城である狩野城を攻撃する際の拠点となったことがうかがえる。

【大見城】大見川とその支流の冷川の合流点の南側の標高207mの山上北端に築かれ、修善寺から伊東に向かう街道を抑える要衝に位置している。同城は山頂周辺を北側がやや低い二段構造に整地して本曲輪(主郭)とし、北側に向かって階段状に曲輪を連ねる連郭式の縄張りで築かれており、本曲輪の北側と西側には二段にわたって腰曲輪が設けられている。背後の尾根は幅約10mの堀切で遮断されており、南側からの敵の攻撃を遮断している。また東西の斜面には竪堀状の遺構も認められるが、自然地形の可能性もあり判然としない。同城は史料から、明応2年(1493)に伊豆に侵攻した伊勢宗瑞(北条早雲)にいち早く従った「大見三人衆」の城郭であったと考えられ、当初は東側に伊東氏、南側に狩野氏という宗瑞に敵対する国衆の勢力の間にあった重要な戦略拠点であったことが推測できる。

【狩野城】伊豆市の旧天城湯ヶ島町柿木地区、狩野川左岸の標高189mの丘陵上周辺に築かれた山城である。同城は丘陵裾部をめぐる下田街道を見下ろし、南側の天城山系と北側の田方平野を結ぶ要衝に位置しており、陸上・河川双方の交通を掌握できる絶好の位置に設けられている。城跡のある丘陵には、東側部分に「本城」「城山上」「城山下」、西側部分に「城」という字が残っているが、いずれも後世の開墾等による改変のため城郭遺構は認められず、その間の丘陵頂部を中心に四方に延びる尾根上に明瞭な遺構が残存する。丘陵頂部、北側に神社の社殿のある比較的広い面積を占める曲輪が本曲輪(主郭)と考えられ、同曲輪は標高189mの最高地点を櫓台とし、同地点から東側・北側一帯を削りだして平場・土塁を形成していると推定される。本曲輪と堀切を隔てて西側の尾根上には、土塁に囲まれた2つの曲輪及び土塁・堀切の連続遺構が残存している。特に二重堀切は同城の見どころの一つで、緩斜面である西側の尾根を伝って攻めてくる敵からの防禦を重視した築城者の意図がうかがえる。また、本曲輪を頂部とする南側の尾根の斜面上にも曲輪・土塁・堀切が数多く残っており、特に南東斜面の小曲輪と土塁・堀切の連続は、南東から東側に緩やかに伸びる尾根を厳重に守る構造となっている。

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