第260回見学会ご案内

小山田氏の岩殿城と勝山城

3月の見学会は、武田氏の重臣であった郡内地方の小山田氏ゆかりの山城を探訪いたします。関東三名城(他2城:岩櫃城・久能城)の一つである岩殿城(大月市)と勝山城(都留市)をメインとした中身の濃い見学コースとなっています。
本会では、ここ数年、新入会員や非会員の参加も増えつつあることから、会の長い歴史の中で何回か行っている著名な山城にも三度足を運び、縄張学を究めるための良い見本として再探訪を計画したものであります。そそり立つ岩殿城の岩肌が陽光に輝き、可憐な野草が勝山城の曲輪に萌える風景を求めるのも山城探訪の醍醐味でしょう。ご家族やご友人と一緒に、ご参加いただきたいと存じます。

  • 実施日:平成30年3月18日(日曜日) *荒天の場合は中止
  • 見学先:大月市:岩殿城・駒宮砦 都留市:勝山城  〔脚力レベル: 4/5〕
  • 参加費:会員6,000円 非会員6,500円  当日朝バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス 〔集合場所:静岡駅南口・ロータリ交差点付近〕
  • 身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当、飲み
  • 担 当:乘松理事・澤田理事
  • 締切り:定員になりましたので締め切りました!
  • 日 程:
    8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:40 愛鷹PA(トイレ休憩)→9:00東名・御殿場IC → 国道138 → 東富士五湖道路 → 中央高速道路 → 9:50 大月IC → 10:15 ~ 13:00 岩殿城(昼食)13:30 ~ 14:45 駒宮砦 → 15:20 谷村町駅 → 15:40 ~ 16:40 勝山城 → 17:00 谷村町駅 → 都留IC → 中央高速道路 → 東富士五湖道路 → 国道138 → 17:50 東名・御殿場IC → 18:10 愛鷹PA(トイレ休憩)→ 東名・静岡IC → 18:50 静岡駅南口着 解散

【岩殿城】 山梨県大月市賑岡町 標高634m 比高250m
『甲斐国志』によると、岩殿山には大同元年(806)開創と伝わる天台宗寺院の円通寺が存在し、平安期以降、修験道の場として栄えたという。戦国期になると郡内地方は甲斐守護・武田氏や国衆・小山田氏の支配となる。岩殿城の築城時期は不明であるが、『甲斐国志』では小山田氏の本拠である谷村館(都留市谷村)の詰城説をとっている。一方で、近年は岩殿城を谷村館の詰城とするには距離が12kmと離れすぎていることから、武田氏が相模・後北条氏に対する境目の城として築いたとする説もある。
小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509)に武田氏に敗北すると傘下に入る。その後、武田氏が相模の後北条氏や駿河の今川氏と覇権を争う状況になると、郡内領は軍事上の要衝となり、岩殿城は国境警備の役割を果たしていたと考えられている。『信長公記』『甲陽軍鑑』等によれば、天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、小山田信茂は新府城から武田勝頼を岩殿城へ迎えようとするが、勝頼一行が郡内領へ入る直前に、信茂は勝頼から離反し、勝頼一行を天目山(甲州市大和町)での自害に追いやる。小山田信茂は直後に織田信長に出仕するが、甲斐善光寺において汚名の下に処刑され、郡内小山田氏は滅亡する。同年6月の本能寺の変により、甲斐・信濃の武田遺領を巡る「天正壬午の乱」が発生する。都留郡では本能寺の変が伝わると土豪や有力百姓などの「地衆」が蜂起し、甲斐国を統治していた織田家臣・河尻秀隆は武田遺臣により殺害される。こうした状況下、相模の津久井城主・内藤綱秀が都留郡へ侵攻、岩殿城を占拠し後北条氏はさらに都留郡一帯を制圧していく。天正壬午の乱において徳川家康と北条氏直は対峙するが、徳川・北条同盟の成立により後北条氏は甲斐・郡内領から撤兵し、甲斐国は徳川家康が領することになる。

【駒宮砦】山梨県大月市七保町駒宮 標高496m 比高120m
『甲斐国志』には「御前平」として記載され、烽火台跡と推定されている。築城主体・年代等は不明であるが、南方3.5kmにある岩殿城との位置関係から 「小菅・丹波山地域と岩殿城を結ぶ烽火台的役割」と「栃穴御前山砦・牧野砦・ 長峰砦・大倉砦と同様に岩殿城の北面の守りとして築かれた砦」〔『大系』・『県史』〕と考えられている。本砦の特長は、3つで構成される曲輪の独立性が高いという点で、曲輪の間に堀切を施し、曲輪の堀側にはいずれも土塁が設けられているなど、曲輪間を行き来するには適さない構造となっている。これは、本砦を守った軍勢(城番)が複数あり支配関係や役割が異なっていたためとの指摘もあり興味深い。

【勝山城】山梨県都留市川棚 標高571m 比高100m
半独立的な群内領主として武田氏に臣従した小山田氏が居城としていた谷村城(谷村館)の詰城。かつて谷村城があった都留市役所や谷村第一小学校の裏手を流れる桂川の対岸にある城山と呼ばれる独立峰に築かれている。『甲斐国志』には、浅野長政の家老浅野氏重により文禄3年(1594)に築城されたという記述があるが、近年の研究により、小山田氏時代にもこの城があったことがわかってきた。また、小山田氏時代の谷村城の詰城は北方の岩殿城(大月市)とされてきたが、今日では谷村城の詰城は勝山城であるとする考え方も定着している。天正18年(1590)の小田原の役で後北条氏が滅亡した後、甲斐は加藤氏、浅野氏などの豊臣氏の大名が領有したが、その時代に近世城郭として整備され、江戸時代には谷村藩の藩庁が置かれた谷村城の属城として存続した。江戸時代の絵図によると、谷村城と勝山城は二本の内橋によって連結されている。しかし、江戸時代には詰城としての役割は失われ、勝山城の本郭のあった山頂には、家康を祀る東照宮が建立された。藩主の秋元氏は寛永年間(1624~43)に茶壺蔵を設けたという記録が残っているが、その遺構は確認されていない。城跡は現在、城山公園として保存整備されている。

 

 

 

 

 

 

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