第262回見学会ご案内

今川義元公生誕500年プレ事業
今川義元の田原城攻め
― 二連木城址・吉田城址・大津城址・長興寺 ―

今回の見学会は今川義元公生誕500年を前にして、義元の東三河侵攻における最初の標的となった戸田氏に関連する城郭等を探訪いたします。
戸田氏はかつて、今川氏への従属と離反を繰り返した弱小勢力で、「竹千代事件」で義元の怒りを買い、ついに滅ぼされたかのように思われていました。しかし近年の考古学的な成果により、海上交易で繁栄した大勢力であったことが分かってきています。また、資料の読み直しで、田原城攻めでも今川勢を何度か撤退に追い込み、しかも滅んだわけではありませんでした。さらに、「竹千代事件」でも新説があらわれ戸田氏の関与が疑問視されているなど、興味を引く国人領主の姿が浮かび上がっています。
今回の見学地は、戸田氏勢力の北限である吉田城・二連木城から、最初に入った大津城(高縄城)、渥美地域支配の拠点である田原城と菩提寺の長興寺を訪れ、その興亡の歴史をたどりたいと思います。

  • 実施日:平成30年10月21日(日曜日) *雨天決行(要雨具)
  • 見学先:二連木城址・吉田城址・大津城址・田原城址・長興寺
    〔脚力レベル: 軽度1/5〕
  • 参加費:会員6,000円 非会員6,500円  当日朝バス内で集金
  • 乗り物:市沢バス(あずき色のボディカラーが目印)
  • 乗車地:静岡駅南口・スクランブル交差点 石田街道沿い左手(東側)
  • 身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
  • 担 当:川村副会長・齋藤理事・澤田理事
  • 申込み:参加申込みはこちら
  • 締切り:10月15日(月)迄
  • 日 程:8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:15 東名日本坂PA下りなど   ※乗車希望の東名PA、SAを申込の際、明記してください → 9:30 東名・豊川IC →10:00 ~ 15:30の間に見学先を順次探訪〈二連木城址 → 吉田城址(昼食) → 大津城址 → 田原城址 → 長興寺(戸田氏墓所)〉→ 国道259 号→ 国道23号 → 国道1 号→ 県道65号 → 17:00 東名・浜松西IC → 各東名PA,SA → 東名・静岡IC → 18:30 静岡駅南口帰着 解散

【二連木城址】愛知県豊橋市仁連木町
二連木城は戸田宗光によって築かれた城で、元亀2年(1571)に武田信玄と徳川家康の間で行なわれた「二連木城の戦い」の舞台となった城です。戸田氏は徳川家康の関東転封にともない転封となり、代わって吉田城に入った池田照政(のちの輝政)により廃城となりました。なお、照政は二連木城の廃城に伴い、東に向けられていた吉田城の大手門を南側に移転させています。現在城址は「大口公園」として整備されており、本丸を囲む土塁が残っています。

【吉田城址】愛知県豊橋市今橋町
豊橋公園全体と隣接する市役所の敷地が旧吉田城址です。永禄7年(1564)には松平時代の家康公が、今川方の吉田城代小原鎮実を攻め、吉田城を攻略し城主に酒井忠次をおきました。酒井忠次は吉田城を改築し、新たに堀を掘ったことが発掘調査で明らかになっています。その後、羽柴秀吉配下にあった池田輝政が、吉田城の城主となり大城郭を改造しています。輝政時代の遺構には鉄櫓下の石垣があり、当時としては最新技術で積まれた石垣と云われています。世界遺産となっている姫路城を池田輝政が築く前は、実は吉田城の城主だったのです。歴史に残る有名人たちが吉田城の城主だったということは、それだけ吉田城が戦乱の要であったということが分かります。

【大津城址(高縄城址)】愛知県豊橋市老津町
文明7年(1475)、戸田宗光が築城し城主となりここを拠点に渥美半島一帯へ勢力を伸ばしていきます。その後、文明11年(1479)戸田宗光は、田原城、仁連木城を築いて大津から田原へ移り、高縄城は田原城防衛の重要な支城となりました。天正18年(1590)、この時の城主・戸田忠次は家康の関東移封に従って伊豆下田5000石を領して移り、高縄城は廃城となりました。

【田原城址】愛知県田原市田原町巴江
田原城は三河湾を支配していた戸田氏の居城として知られています。城主が戸田康光の時に、松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(のちの徳川家康)を護送する任を受けましたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元の怒りを買い、攻められて落城しました。その後は松平氏譜代の本多広孝が、さらに家康が関東へと移封したのちは吉田城に入封した池田輝政の重臣である伊木忠次が城主となっています。江戸時代になると、渡辺崋山などを排出した田原藩1万2千石の藩庁として使われました。現在、本丸は巴江神社になっており、二の丸には復元櫓が模擬再建されています

【長興寺】愛知県田原市大久保町
寺伝によれば、建治元年(1275)に後深草上皇の発願により、大覚寺という天台宗の寺院として創建されたと云います。その後臨済宗に改宗しましたが、室町時代に入ると戦乱の影響で廃寺同然まで衰微してしまいます。文明14年(1482)に、田原城主・戸田宗光が再興した時に曹洞宗に改宗し、寺号を長興寺と改めています。宗光は、同寺に寺領50貫文を寄進し、戸田氏代々の菩提寺と定めるようになりました。宗光の曽孫である戸田康光が天文16年(1547)に今川氏に滅ぼされると寺領の大半を失いますが、田原城代となった朝比奈元智の仲介によって永禄5年(1562)には寺領を回復し、さらに今川氏真や徳川家康からの寄進・庇護を受けました。その後、田原藩第2代藩主・戸田忠能に至るまで、田原戸田家歴代当主の墓所が境内に営まれました。

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