第264回見学会のご案内

北条早雲シリーズ・パート2
北条早雲(伊勢宗瑞)の東伊豆侵攻- 河津城と鎌田城 -

〈見学会のねらい〉
明応2年(1493)に伊豆に侵攻した北条早雲(伊勢宗瑞)は約5年間かけて伊豆を制圧するが、その中で抵抗勢力の蔭山氏・伊東氏との抗争の舞台となったと考えられる東伊豆地域の河津城、鎌田城の縄張を観察し、それぞれの縄張構造の特徴の比較や、両城がその後(永禄・天正期など)改修・使用された可能性の有無等について考察する。

  • 実施日  平成31年 1月20日(日)
  • 見学地  河津城(河津町)、鎌田城(伊東市)
  • 担当者  望月保宏・宮川茂美
  • 参加費  会員5,000円、非会員5,500円
  • バ ス   市沢さんのバス
    ※申込時に、乗車希望場所(静岡駅南口、富士川SA、道の駅・伊豆ゲートウェイ函南、伊豆急河津駅前)をご記入ください。
  • 申込み  締め切りました
  • 日程(予定)
    8:00      JR静岡駅南口集合、出発
    8:10      東名静岡IC
    8:30      富士川SA
    8:50      東名沼津IC(→伊豆縦貫道)
    9:15      道の駅 伊豆ゲートウェイ函南(休憩)
    10:00      (伊豆縦貫道)大平IC
    11:00      河津桜観光交流館前→河津城入口
    11:30~12:30  河津城見学(山上で昼食) → 13:00河津桜観光交流館前14:00      鎌田城入口
    14:30~15:30   鎌田城見学 → 16:00 鎌田城入口
    16:45      伊豆箱根鉄道 修善寺駅(*鉄道利用者はここで降車)
    17:15          道の駅 伊豆ゲートウェイ函南(休憩)
    18:30      東名静岡IC
    18:40      静岡駅南口着、解散

*小雨決行、悪天候(積雪等)の場合は見学地を変更することがあります。
*ハードな山城登山になりますので山歩きが苦手な方はご遠慮ください。

見学地概要

【河津城】河津城(川津城)は、河津川左岸の河口近くにそびえる「城山(大日山)」の山頂(標高約180m)周辺に築かれた山城である。その遺構は山頂部分を本曲輪(主郭)とし、一段下の南側に曲輪2を設け、周囲に腰曲輪、帯曲輪となる小規模な曲輪を配し、特に北側に3本の堀切を設けた構造が主となっている。なお更にその北側にも小曲輪や堀切が設けられており、特に北側の防禦を重視した縄張となっている。

同城は平成3年(1991)に河津町教育委員会によって主要部分の発掘調査が行われ、本曲輪・曲輪2・曲輪4の周辺から竪穴状遺構一基、集石遺構六基が検出されている。竪穴状遺構の底部には被熱の跡が認められ、穀物粒をはじめとする大量の炭化物が陶磁器等の遺物とともに出土している。陶磁器は、周辺から出土した物も含めて15世紀後半~16世紀前半の所産とみられ、伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻した際、同城をめぐり激しい戦いが起こったことを物語っていると考えられる。同城を築城したのは、後世の文献や伝承等によれば、地元の土豪である蔭山氏ではないかといわれているが確証に乏しく、今後のより詳細な調査が期待される。

【鎌田城】鎌田城は、伊東の中心市街を貫流し相模灘に注ぐ伊東大川(松川)の中流部の左岸にそびえる標高311mの城山の山頂周辺に築かれた山城である。この場所は伊東から冷川峠を越えて大見・修善寺方面へと通じる交通の要衝に位置しており、同城が街道の監視及び戦略の拠点として築かれたことが推測できる。

遺構の残存状況は一部を除き土塁・堀等が比較的良好に残っており、地表面から城の縄張が容易に観察できる。同城は山頂部分を本曲輪(主郭)としてそこから放射状に曲輪を設け、更に北西方向に虎口を設けるという、かなり凝った構造となっている。特に曲輪4の東側の尾根を遮断する幅約15m、長さ約30mの大堀切や、曲輪3の北側の尾根筋にみられる方形状の馬出を連ねる「重ね馬出」、南側の馬出曲輪の南~西側の土塁に堀切・竪堀を連結させる技巧的な造りなど、同城の見どころの一つである。

以上のような縄張構造から、同城は後北条氏による16世紀後半の典型的な城郭とみられていたが、平成14年(2002)に伊東市教育委員会によって主要部分の発掘調査が行われた。陶磁器等の遺物は15世紀末~16世紀初頭の所産とみられ、縄張から推定されていた年代観とは約100年近い差が生じることとなった。

同城は発掘調査から得られた年代観によれば、明応2年(1493)に伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻した際の伊東氏の居城ではないかと推測され、河津城同様、同城をめぐる戦いの末落城したのではないかと考えられるが、16世紀後半の秀吉による小田原攻めの際に改修されたのではないかという見解もあり、同城の評価及び位置付けは今後の更なる研究の深化に期待したい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください