第267回見学会の報告

令和元年11月17日、元号が令和となって初の見学会、「“北遠の雄”天野氏の城」が実施されました。今川氏から徳川氏、そして武田氏へと主君を渡り、強国の狭間で翻弄されつつも戦い続けた天野氏。その天野氏の城の中から、今回は平尾城、犬居城、萩野城を選び、その縄張りから天野氏が遭遇した時代背景、状況を参加者全員で考察しました。 今回、参加いただいた当会顧問、乗松稔氏に現地での解説を特別にお願いしました。
 

【平尾城】 最初の見学地は平尾城です。天野氏の本拠地とされる犬居城から気田川を挟んだ東1キロメートルに位置する。西に気田川、南に不動川、東に金平沢と三方を自然の要害に囲まれた高台の平尾集落の背後にそびえる山上に平尾城がある。山上を削平し主郭とし、数段の腰曲輪と主郭を中心に東・西・北の三方の尾根にそれぞれ一本ずつ堀切を設けただけのシンプルな城ですが、当日の素晴らしい天候も相まって日当たりのよい南側の集落を見下ろす立地、平尾集落そのものの要害性など「かつては天野氏の本拠地だったのでは?」という説にも頷けます。当時の国人領主の生活空間を想像するには良いモデル空間でした。

【犬居城】 2つ目の見学地は犬居城です。天野氏の居城と伝わるも築城時期など城史は不明とされ、『三河物語』の天正2年の「犬居城攻め」で初めて記録に登場する。元亀三年の武田信玄による遠州侵攻が開始されると天野氏は信玄に内応し、犬居郷は武田領となる。犬居城の遺構を見ても、馬出や横堀など武田氏の築城技術が注がれた城である事は確実で、『三河物語』の時期とも一致します。 「まるで丸子城だね!」参加者の多くがその類似性に目を輝かせていました。 遺構の規模などは比べようもありませんが、パーツの配置など間違いなく後の丸子城にフィードバックされた技術が随所に見られます。昼食後には少人数のグループに分かれ各々横堀や馬出に集い、縄張り談義に話を咲かせておりました。

 【萩野城】 今回の見学会最後の見学地は犬居城から北東7㎞に位置する萩野城です。 『遠江国風土記伝』に「古老曰ふ、天野美濃の住居にして天正二年敗る」と記すのみで城史は不明。牧野集落から北西の筏戸集落を結ぶ古道が同城のある尾根を通っており、関所的な役割を担っていた。長篠合戦後の天正四年に徳川氏による犬居城攻めが再開され、萩野城の東5㎞地点にある樽山城が落城している事から、同時期に徳川氏により攻め落とされた可能性が考えられます。 城の主要部は犬居城と同じく山上を削平した階段状の曲輪で構成され、古風な縄張り感が否めない。しかし、城の前面にあたる北側の幅8mにも及ぶ土橋付きの大堀切、そして城の西側斜面に続く横堀など、犬居城に通じる遺構も見られる事から、天野氏独力による改修か、武田氏の手によるものか、はたまた徳川氏が攻略後に再利用した時の改修か、参加者の間で様々な意見交換がおこなわれました。
10月に下見に来た時は悪天候の中、散々でしたが、本番は素晴らしい天気に恵まれ、有意義な見学会を参加者全員で楽しむ事ができました。
(文責:望月 徹 /写真:稲垣雅一、望月 徹)