第266回見学会(一泊二日)のご案内

「常陸南部の城 - 北条氏・佐竹氏の抗争の舞台を訪ねる -」

   

 現在の茨城県南部にあたる常陸南部~下総北部地域は戦国期、小田原北条氏の支配領域の東端にあたり、常陸北部~中部に勢力を拡大しつつあった佐竹氏との抗争の舞台となった。その抗争に関わった城跡を訪ね、それぞれの城郭の縄張りの特徴について考察する。

  • 実施日 平成31年(2019) 4月20~21日(土~日)
  • 見学地 【1日目】守谷城(守谷市)、牛久城(牛久市)、木原城(美浦村)、塙城(阿見町)【2日目】小幡城(茨城町)、小田城(つくば市)、逆井城(坂東市)
  • 宿泊地  ホテル東横イン水戸駅南口  茨木県水戸市桜川2-3-40
  • 担当者  望月保宏・平井 登・松永澄尚 
  • 参加費  会員 23,000円、非会員 24,000円
  • バ ス  市沢バス(28人乗りバス)※定員になり次第締め切ります
  • 締切日 平成31年4月10日(水)
  • 日 程(予定)※雨天決行 ※いずれも平城ですので見学は楽です!

【1日目】  7:30 静岡駅南口集合、出発 ⇒  7:40東名静岡IC

8:10 富士川SA ⇒  8:40 足柄SA (東名→首都高速→常磐道 谷和原IC)

11:30~12:45 守谷城見学(昼食) ⇒  13:30~14:15  牛久城見学

15:00~15:30 木原城見学 ⇒  16:00~17:00 塙城見学
(常磐道桜土浦IC→水戸IC)

18:30 ホテル着 東横イン水戸駅南口(℡ 029-221-1045)

19:00~21:00  懇親会(水戸駅北口近く「満月城」2h飲み放題)

【2日目】  8:15 ホテル発

 9:00~10:30  小幡城見学(常磐道岩間IC→土浦北IC)

11:30~13:00  小田城見学(昼食)⇒ 13:45~14:45  逆井城見学

(圏央道 境古河IC→東名)

18:00 足柄SA ⇒ 18:30  富士川SA

19:00 東名静岡IC ⇒ 19:10  静岡駅南口着、解散

見学先の概要

【守谷城】 築城年代は定かではないが相馬氏によって築かれたと云われる。 大永5年(1525)には相馬因幡守が守谷城を居城としていたことが確認されている。戦国時代には古河公方に従い梁田氏の配下となっていたが、小田原北条氏の勢力が伸びてくると梁田氏は北条氏に降り、このとき守谷城は北条氏によって接収された。北条氏は永禄11年(1568)に守谷城を改修している。当初は古河公方足利義氏の御座所となるような話もあったようであるが、結局実現しなかった。天正18年(1590)北条氏は豊臣秀吉によって滅ぼされ相馬氏もまた没落した。城は低湿地帯に突き出す台地に築かれており、現在は守谷城址公園となっている。公園には大きく三つの曲輪があり、それぞれ大きな空堀で区画されている。中央の曲輪には土塁や虎口、土橋などが確認できる。

守谷城Ⅳ郭・Ⅴ郭間の堀切

【牛久城】岡見氏によって16世紀半ば頃に築造された。同城は後北条氏と佐竹氏との境目にあり、三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られている。 天正年間、多賀谷氏と岡見氏の係争の舞台となり、多賀谷氏を支持する佐竹氏と、岡見氏を支持する北条氏の間での対立の地ともなり、堅城として知られた。 天正14年(1586)から翌年にかけて、下妻の多賀氏によって、岡見氏の有力支城である谷田部城と足高城は落城させられたが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高城氏などの援軍を得て守りきった。その後防衛のため城主岡見治広は北条軍の駐留を許す事になる。しかしながら、牛久城は天正18年(1590)に豊臣秀吉軍の小田原攻めの際開城に至った。 そして、秀吉は由良国繁を牛久城主としたが、関ヶ原の戦い後の元和9年(1623)に廃城となった。

牛久城Ⅱ郭北側の堀

【木原城】築城年代は定かではない。 永禄5年(1562年)には江戸崎城主土岐氏の家臣近藤薩摩守が木原の地に取り立てられており、この頃には木原城が築かれていたといわれる。軍記物などでは天正2年(1574)に小田氏の家臣江戸崎監物が佐竹氏に寝返り、木原城は攻められて落城、天正11年(1583)には葦名盛重など佐竹軍によって攻められ落城、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で木原城主は江戸崎城とともに北条方となり落城、と三度落城しているが、『図説 茨城の城郭』によれば、発掘調査では焼土や土塁の作り直しなど激しい戦闘の痕跡は確認されていないという。また同書では、土岐氏あるいはその家臣である近藤氏といった小勢力が、現状のような巨大な城郭を築いた背景として、永禄6年(1563)に土岐氏と小田原北条氏が同盟関係となり、天正元年(1573)に佐竹氏が小田氏の支城である宍倉城や戸崎城を攻め落とし、土岐氏の勢力範囲と隣接するにあたって北条氏が土岐氏を支援した結果ではないかと推測している。

木原城展望台よりⅡ郭方面を望む

【塙城】阿見町塙の小字「たて」を中心として、台地の突端部に築かれた城で、遺構が良い形で残存している。特に「たて」の地には本郭、二の郭があり、土塁、空堀、帯郭、隅櫓跡などが見られる。この北側には、低地をはさんで丘陵があり、この丘陵には三重構造の空堀と土塁が残っている。このことから、低地は家臣団の居住区と判断され、また地形から水の手とも考えられる。「たて」の地名からみて、本郭、二の郭の地は古い時代に館として築かれ、戦国後期の土岐氏の時代に、堅固な戦国様式の城郭に改造されたと推察され、本郭北方の三重の堀も新しい構築だと思われる。土岐氏による改造の時期は、永禄5年(1562)に木原に近藤氏が入った後で現在の阿見町域が土岐領に帰した頃、すなわち永禄前期と推定される。

塙城主郭周辺

【小幡城】寛政川の右岸に開析された舌状台地の先端に位置する。この地は常陸国府(石岡市)から水戸方面に通じる陸前浜街道の途上にあり、街道の中継地点であった。構造は7つの曲輪から構成される。大手はⅦ郭の西側にあり、道なりに進むと虎口に至る。Ⅰ郭(本曲輪)は東西約80m、南北約50mの規模で周囲を土塁に囲まれ、巨大な空堀を隔てて西にⅤ郭、東にⅢ郭が接する。Ⅴ郭には櫓跡と思われる遺構がある。Ⅰ郭の虎口は南側にあり、土橋状の遺構を通じてⅣ郭につながる構造となっている。城郭史については地域の土豪である小幡氏の居城であるとされているが不明な点が多く、謎の多い城である。発掘調査により15世紀代に遡る遺構・遺物が認められることから、築城は15世紀代と考えられている。茨城県内の中世城郭で、小幡城ほど保存状況が良く、巨大な遺構をもつ城郭は見当たらず、中世城郭の雰囲気を味わうには格好の城である。

小幡城Ⅵ郭東側堀

【小田城】宝篋山の南西の尾根のふもとに造られている東西約1km、南北約700mの平城である。戦国時代は湿地帯であったので、城附近の堀のほとんどが水堀であったと思われるが、現在は多く水田になっている。城の中心部に東西120m、南北140mの方形の主郭があり、土塁と濠に囲まれている。土塁の西・東・南の隅には櫓台が認められる。主郭周辺の郭には、馬出しや帯曲輪跡がある。濠や土塁には、随所に折りや喰違いがあり、虎口には馬出しの他に枡形も見られる。同城は鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖・八田知家が文治元年(1185)に常陸国守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると言われる。 その後、南北朝期には、当主・小田治久が南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となり、北畠親房なども入城している。 下って戦国時代の弘治・永禄年間、当主小田氏治は佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信、小田原の後北条氏らと抗争を繰り返した。氏治は永禄12年(1569)の手這坂の戦いに敗れ、小田城は佐竹氏のものとなり、翌元亀元年(1570)に太田資正が城主になり、同3年(1572)に資正の子の梶原政景が城主になった。のち、佐竹氏の一族・小場義成が城主になったが、慶長7年(1602)に佐竹氏の秋田移封に伴い廃城になった。

小田城主郭南東土塁上より筑波山方面を望む

【逆井城】北側に西仁連川用水を臨み、西に入江だった蓮沼が存在する台地の先端上に位置している。江戸時代前期以前には飯沼という南北30kmに広がる沼が城の北方に存在しており、城はこの沼の歪曲部に位置していた「後ろ堅固の城」でもあった。同城の築城は享徳年間ごろといわれる。小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にしたという。しかし常宗の孫・常繁のときの天文5年(1536)、古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立したため、後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け同城は落城、逆井氏は滅亡したと伝わるが、落城時期には異論もある。後北条氏の勢力下に入った逆井城は、天正5年(1577)同氏の最新の技術が投入され、「飯沼城」として生まれ変わった。同城には玉縄城主北条氏繁が入り、下野・常陸方面への侵攻の最前線として佐竹氏・多賀谷氏などと対峙した。翌天正6年(1578)氏繁は同城で没し、その後を子の氏舜・氏勝兄弟が継いだが、同18年(1590)、豊臣秀吉による小田原合戦で後北条氏が没落したのに伴い、廃城となった。城跡は発掘調査の後城址公園として整備され、井楼櫓や土塀などが復原されており、往時の姿を偲ばせてくれる。

逆井城復原櫓及び土塀

第265回見学会の報告

今回の見学会は、本会が「今川義元公生誕500年祭」プレ事業の一環として行ってきた、「今川氏が三河攻めの際築いた城」シリーズの第3弾、『今川氏の境目の城』をテーマに湖西市内の宇津山城と境目城、浜松市の三ヶ日町との境にある尾奈砦。遠江と三河の国境を越した尾根上に築かれた船形山城(豊橋市)を見学しました。

最初は尾奈砦に行きました。リステル浜名湖ホテルの前でバスを降り、急なみかん畑の道を登って行き、後ろを振り返ると浜名湖の大パノラマが広がっていて、思わず歓声が上がりました。対岸には堀江城(浜松市西区舘山寺町)、佐久城(浜松市北区三ヶ日町)、千頭峯城(尉ケ峰)などが確認できました。更に道無き斜面を、足を滑らせながら登って行くと山の頂にはボロボロになった当城の案内看板が転がっています。その先に井戸址と言われる円形の窪地と斜面を掘り下げた虎口、二重の堀切と幅広の土橋が確認され、当城は単郭式の小さな城であるが、西側尾根続きに対する虎口導入路は技巧的で見事です。堀の外側は広い平坦地で、三河に攻め込む際の兵站基地であったと推定されています。

2ヶ所目は船形山城です。当城は明応(1492~)の頃多米又三郎が在城し、戸田宗光らの攻撃で落城したと云われていましたが、最近では永正14年(1517)であろうと言われています。

真言宗の普門寺門前でバスを降り、急な登山道を、息を切らし登りました。尾根上は遊歩道が整備され、多くのハイカーに出会いました。峠から西に向かって200m程行くと、当城の東側に備えた大きな堀切を越し、ここからが城内で曲輪の周囲には土塁が取り巻き、北側斜面に坂虎口が確認できました。また、北面・南面の山腹には腰曲輪が付き、西側先端に幅の狭い堀切を入れています。現在は土塁上が遊歩道となり、道以外の大部分は雑木が生茂る状態で、参加者は草木を押し分け見学していました。城址では昼食をとるスペースもなく、西側の座談山に登り浜名湖や湖西市の工場群、豊橋東部の市街地を眺めながら弁当を食べました。帰りは寺の旧伽藍址を見学、其の頃から雨が降り出し追われるように下山しました。

3か所目は境目城に向かい、城址に着く頃には天候も回復し青空も出て来て幸いでした。現地の案内は当城の縄張調査を行った望月徹さんが参加していらっしゃったのでお願いしました。 

当城は明治19年、東海道本線建設の用土として切り崩され、ほぼ消滅し、日什聖人が開山した旧跡地と伝わる付近が当時の面影を残すという事で当地を見学しました。そこには窪地にお堂が祀られ、西側の最高地点には北西側に土塁が残っていますが、ここは五輪塔や明治頃までの墓石が散在し、土取りがされた頃までの墓地の跡と思われます。

最後は宇津山城に行きました。当城は今川氏の三河侵攻の拠点城であり、今回見学した城の内では最も規模の大きな城です。当城は東域の「城山」と、西域の「高山」に主要部があり、最初は東域の「城山」を見学しました。この城山は早くから畑に耕作され、最近は荒れ放題の状態で入る事も困難な状況でありましたが、多くの参加者は竹や草を掻き分け土塁の上に登っていました。西域の「高山」は中央に土塁が残っていますが堀は埋め立てられ、土塁の南側は寺の墓地になってしまいました。この後、土塁から北側にある、内側に石積みされた土塁状の遺構を見学し、みんなで何の遺構か検証、猪垣とか、寺の結界、畑の地境等の意見が出ました。

当初の計画では見学は終わりでしたが、少し早く終了したので、サプライズとして帰り道近くにある佐久城を見学。参加者は満足の見学会であったと思われます。
                    (文責:乘松 稔 写真:澤田孝治)


                                  

第265回見学会ご案内

今川氏の境目の城

ー尾奈砦・宇津山城・境目城・船形山城ー

春のおとずれとともに、山城めぐりが楽しくなる季節となりました。会員の皆さまにおかれましては、ますますご清栄にお過しのこととお喜び申し上げます。
本年、各地で開催される「今川義元公生誕500年祭」の記念事業に呼応するように本会でも昨年10月の東三河攻め、11月の西三河制圧と連続した見学会事業をおこなっています。そして今回は、「今川氏の境目の城」をテーマに、三河と遠江のまさに境目に築かれた尾奈砦・宇津山城・境目城・船形山城を訪ねます。今川氏の兵站基地としても活用された尾奈砦、東三河の国人領主戸田氏と争奪戦が行われた船形山城を、そして「宗長手記」にも登場する宇津山城等をじっくり堪能していただきます。
どうぞ、ふるってご参加くださいますようお願い致します。

実施日:平成31年3月17日(日曜日) *小雨決行、大雨の場合は見学先を変更。
見学先:〈湖西市〉尾奈砦・宇津山城・境目城 〈豊橋市〉船形山城
    〔脚力レベル:4/5〕
参加費:会員5,000円・非会員5,500円  当日朝バス内で集金 
乗り物:市沢バス(あずき色のボディカラーが目印)
出発地:静岡駅南口・スクランブル交差点 石田街道沿い左手(東側)付近
身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
担 当:乗松理事・小川理事 
締切り:3月11日(月)
申込み:参加申込みはこちら
日 程:8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:15 日本坂PA下り等、乗車希望の東名下り線PAを申込の際、明記してください → 9:00 三方ヶ原SA(トイレ休憩等)→ 9:30 東名・三ケ日IC → 10:00 ~ 15:40の間に見学先を順次探訪
 尾奈砦跡 → 船形山城跡 (昼食)→ 宇津山城跡 → 境目城跡
→ 16:10 東名・三ケ日IC → 16:20 三方ヶ原SA → 各東名PA →
東名・静岡IC → 18:30 静岡駅南口帰着・解散

〔 見学先の概容 〕
【尾奈砦】浜松市北区三ケ日町下尾奈
当城は浜名湖北岸の猪鼻湖入口西側尾根上の本城山に築かれ、西側の三河との国境まで僅か5㎞程の位置にあり、南側の浜名湖対岸2㎞に三河進攻の拠点「宇津山城」、北東側、猪鼻湖対岸3㎞には「佐久城」を望むことが出来る国境の警護を目的とした境目の城である。天文16年(1547)の田原城攻めには「日々沢城」とともに兵站基地としても使用されている。この城は単郭式の縄張りで西尾根上の縄張りは技巧的でこの城の見どころである。
【船形山城】 豊橋市雲谷町字上ノ山
 当城は、静岡県境の弓張山地から東へ派生した船形山上に築かれ、城跡の北東尾根続きには「鎌倉街道」と呼ばれる峠道が存在し、城跡南東の山腹から麓にかけては平安~戦国期に存在したと考えられる普門寺の旧伽藍跡がある。
永正14年(1517)に今川方の境目の城館として多米又三郎が在城していたが、戸田氏の攻撃を受けて落城。その後、今川方の反撃により戸田氏らは撃退されている。永禄7~11年(1564~68)頃には小笠原氏が徳川家康の命を受けて守備についている。主郭は南側を除いた三方に土塁が巡る(ただし、東端部は鉄塔建設時の削り残した痕跡とも考えられる)。主郭北東斜面下の堀切、主郭のへの虎口、南尾根上の堀切状遺構等峠道と絡む遺構が興味をそそられる縄張りである。
【宇津山城】 湖西市入出字城山
 当城は、浜名湖西岸の湖に突き出た独立丘陵に位置している山城である。丘陵は秩父古生層からなる岩山で、丘陵の西側に標高50mの高山、東側に正太寺鼻の標高25ⅿほどのなだらかな城山と呼ばれる高低差のある地形となり、北・東・南の周囲三方が天然の水堀となっている。西側に丘陵が続き、三河国との国境となる湖西連峰の山並みに至る。当城が文献に登場するのは、宗長の記録『宗長手記』である。宗長が宇津山城を訪れたのは大永7年(1527)の4月のことである。記録からは、今川氏親の家臣長池六郎左衛門親能が大永年間に堀切や竪堀を配して築城したことがわかる。享禄年間(1528~1532)以降は、朝比奈氏が三代にわたって城主となっている。永禄11年(1568)12月12日酒井忠次を先鋒に徳川の遠江侵攻が開始され、12月15日宇津山城はあっけなく落城してしまう。その後、徳川氏の手によって改修され戦略的価値を終えた天正9年(1581)頃廃城となった。
【境目城】 湖西市吉美字川尻
 永禄10年(1567)三河の地を失った今川氏が徳川家康の遠州侵出を阻止せんとして、三遠の国境である吉美の妙立寺を撤収して、曳馬城の前衛基地の一つとして益田信濃守、水野惣兵衛を普請奉行として築城したものである。しかし、永禄11年徳川方の酒井忠次勢によって攻略され落城した。明治19年東海道本線敷説にその用土として、取り崩され、現在はその大部分が畑、宅地となり南西部の一部が当時の面影を留めているのみである。朝比奈氏の守る宇津山城とは近距離にあり、徳川氏に対する軍事的補強をするための城であった。

第264回見学会報告

北条早雲(伊勢宗瑞)の東伊豆侵攻 -河津城と鎌田城-

実施日:平成31年1月20日(日)
天 候:曇り
参加者:26名
担当者:望月副会長、宮川理事

 年明け第一弾の見学会は昨年に引き続き、北条早雲こと伊勢宗瑞にスポットを当てた関連城郭見学会を実施しました。往路休憩地「ゲートウェイ函南」付近で小雨が降出し、一時は濡れる覚悟を決めたものの次第に雨も止み、その後のスケジュールに影響を与えるような天候とはなりませんでした。

 河津桜観光交流館駐車場に到着後、河津城登城口に移動しここで鉄道移動された方々3名を掌握し、城跡の残る山上を目指しました。登城路は過去に整備された痕跡のあるものの、経年変化や猪などの野生動物が地面を掘起こした跡も散見され、それに加えて落ち葉等が多く、傾斜のきつい急登路で汗の出るほどでした。
河津城は在地土豪の蔭山氏が築城し、落城の際には城内備蓄の米を撒いて消火を行ったという伝承がある他は当時の文献史料がなく、江戸時代後期に編纂された「豆州誌稿(秋山富南)」及び「掛川誌稿(山本忠英)」があり、その後地元の郷土史や昭和56年に刊行された「静岡県中世城館跡」に掲載されることとなりました。

平成3年に河津町で公園整備の一環として同町教育委員会により発掘調査が行われました。調査の結果、築城の時期は判然としませんが発掘調査の出土遺物の陶器片などから15世紀後半から16世紀初頭に城郭としては機能していたものと考えられています。この発掘調査前後の時期に当会の水野会長をはじめとする研究者が現地踏査を実施されました。

山上の城址主要部において、望月副会長による見学会資料に基づく概要説明が行われ遺構の見所を再確認した後、北方に延びる稜線上を移動し良好に残る曲輪や切岸・堀切を見学しました。曲輪には明確な土塁が有りませんが、切岸からは当時の急峻さを感じとることができ、戦国時代初期の連郭式の山城の形態を残すシンプルな縄張りを楽しんで頂けたと思います。見学終了後、山上にて昼食及び記念撮影をしたのち洋上の伊豆大島や利島の島影を見ながら下山し次の目的地である伊東市の鎌田城に移動しました。鎌田城入口まで概ね1時間程のバス移動になりましたが途中、相模灘に虹がかかり天候の回復が期待されました。

鎌田城も河津城同様に築城から落城までの文献史料が残されていません。平成15年・16年に伊東市教育委員会の市史編纂事業の一環として発掘調査が行われました。この発掘調査に基づく考古学的な知見と、縄張りを主とする城郭史的観点からの見解の相違が議論されています。埼玉県にある杉山城をはじめとする各地の城郭でも同様な問題点の提議があり、部分的調査の出土遺物で年代を決めることに対し「慎重になるべきでは?」とか高度な縄張り構成から天正18年の豊臣秀吉の小田原攻めに際して「北条氏の支城として機能していたのでは?」など多くの意見が主張され、近年鎌田城への関心が高まっています。

 虹のご利益なのか鎌田城入口到着時には風もなく薄日のさす山登りには適した天気となりました。小休止した後移動を開始し沢ぞいの足元の悪いガレ場を経て遊歩道を20分程度歩くと城域に到達しました。おそらくこの道が大手道だったのでしょうか。いきなり見学者一同を出迎えたのは、方形状の曲輪を連ねた「重ね馬出」と、この馬出の南側から西側に土塁・堀切・竪堀を連結させた遺構群が目に飛び込んできました。望月副会長からはこの遺構群は鎌田城で一番の見どころとの説明がありました。

更に山上部に進むと三角形状の広い削平地が広がり、朽ち果てた神社のお社が鎮座していました。この削平地は鎌田城の主曲輪とされ、地表面観察により土塁状の高まりが確認でき、おそらくこの曲輪は周囲を土塁で囲まれていたことが推測できました。また見学会資料の縄張り図からこの主曲輪を中心として放射状に曲輪が配置され、それらを防御するため竪堀などの障害構成が施されていることが現地において確認することができました。

午前中に見学した河津城は、自然地形を巧みに利用して稜線上に切岸と堀切を設けてその間に曲輪を配置する連郭式の縄張りとしているのに対し、鎌田城の縄張りは一つの山を大規模な土木工事により技巧的な曲輪の配置や障害の設置などを主眼に築城されていることを改めて感じることができました。

帰路のバスの車中において、今日見学した2つの城郭の年代観について望月副会長から説明がありその中で、2つの城郭の発掘調査で出土した陶磁器の編年は15世紀末から16世紀初頭のものであり、2つの城郭の機能した時代は同じではないだろうか。更にこの15世紀末から16世紀初頭に伊豆半島において歴史的にどのような事件があったのか、それは明応2年(1493年)、北条早雲の伊豆の堀越御所における足利茶々丸追討から始まり、明応7年(1498年)伊豆下田の深根城攻略があり、河津城及び鎌田城もこの時期の早雲による伊豆侵攻によるものと結論づけられているとのことでした。

 今回、北条早雲(伊勢宗瑞)シリーズの第2弾という位置付けで、河津城及び鎌田城の見学会を実施しましたが、来年度に同シリーズの第3弾を企画検討中でありますので、ご期待頂ければと思います。

                          (文責:宮川茂美)

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