第267回見学会のご案内

北遠の雄!天野氏の城

ー犬居城・平尾の城山・萩野城ー

秋のおとずれとともに、山城めぐりが楽しくなる季節となりました。
さて、11月の見学会は4月見学会より実に半年ぶりの開催となりました。
今回のテーマは「天野氏の城」です。今川氏没落後、武田氏、徳川氏の抗争に翻弄された“北遠の雄”天野氏の本拠地である犬居城を中心としたおびただしい数の支城群は全国に類を見ないと言われております。今回は犬居城とその支城群の中から平尾の城山と萩野城をピックアップし、その縄張りと天野氏の戦いを皆さんと一緒に考察していきたいと考えております。

実施日:令和元年11月17日(日曜日) *小雨決行、大雨の場合は中止。
見学先:〈浜松市天竜区春野町〉犬居城・平尾の城山・萩野城 〔脚力レベル:4/5〕
参加費:会員5,000円 非会員5,500円  当日朝バス内で集金 
乗り物:28人乗りバス(バスが代わりました)
出発地:静岡駅南口・スクランブル交差点 石田街道沿い左手(東側)付近
身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
担 当:望月会長・望月事務局長 
締切り:11月11日(月)迄
申込み: 参加申込みはこちら
日 程:8:00 JR静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:20 東名・日本坂PA下り※乗車希望の場所(東名日本坂PA・JR掛川駅南口)を申込の際、明記してください → 8:50 東名・掛川IC → 9:00 JR掛川駅南口 → 10:00 ~ 16:00の間に見学先を順次探訪 ❶平尾の城山 → ❷犬居城(昼食)→ ❸萩野城 → 17:00 JR掛川駅 → 17:10 東名・掛川IC→ 17:40東名・日本坂PA → 東名・静岡IC → 18:00 静岡駅南口帰着・解散

【見学先の概要】
【犬居城】天竜川支流の気田川が犬居集落で大きく蛇行する北西岸の、通称「鐘打山」に築かれた。対岸の若身集落と森町からの山塊から下ってきた秋葉街道(信州街道)を扼す要衝・要害地に占地する北遠の雄、天野氏の居城。 丸馬出、横堀など随所に見られる武田系の手法は、後の丸子城などに通じる築城技術そのものであり、徳川家康による北遠侵攻が激化するきっかけとなった天正3年の長篠の戦い以降に強化されたものと類推される。
【平尾の城山】 平尾の城山は犬居城の東1km、気田川対岸の村に位置する。南に不動川、東に金平沢が入り込み、西は気田川に侵食され切り立った地形で三方は自然の要害に守られている。 平尾集落に、「平尾の裏山を本城と云い、犬居城の支城として若身の城山と矢文で連絡しあった。」と伝わる伝承を元に新たに確認された城である。
【萩野城】 萩野城は犬居城の北東7kmに位置し、北側を熊切川、南側を大ボラ沢の支流が流れ、二つの川が両側から最も接近した位置にある山上に築かれ、この山を通る筏戸集落と牧野集落を結ぶ道をおさえる役割を担っていたと思われる。階段状に小さな曲輪を連ねただけの、一見古風な縄張りの様に思われるが、西側に見える蔀を設けた横堀構造など、天正期に改修を受けた可能性が伺える。

歴史シンポ in Biviふじえだの報告

今川義元公 生誕500年企画 

「今川氏の城郭と合戦」が大盛会!

令和の新時代を迎えた今年は、伊勢宗瑞(北条早雲)没後500年、今川義元生誕500年という、静岡県に所縁のある戦国大名に関する記念すべき年となっています。当会も7月の定期総会を経て、望月保宏新会長を中心とした新時代がスタート。最初の事業として9月15日、今川義元公生誕五百年企画として歴史シンポジウム「今川氏の城郭と合戦」を藤枝市の静岡産業大学藤枝駅前キャンパスBiViキャンで開催しました。  

小和田哲男名誉顧問の基調講演をはじめ、会員4人が従来の定説に挑む研究発表を披露。前藤枝市長で元静岡放送キャスターの松野輝洋さんをコーディネーターに迎え、「縄張りから捉える今川氏の戦い」をテーマにした討論会を繰り広げました。定員を上回る約130人の来場者の中には著名な研究者も多数みられ、本会の研究に対する関心の高さが窺えました。小和田名誉顧問は「~駿府今川館の実像は~駿府城の発掘成果から」をテーマに講演。寿桂尼の遺言や伝承で、幻の今川館が駿府城の下に眠っていると推定される中で昭和57年、城内の発掘調査で館の遺構が発見された感動を振り返り、出土品の永楽通宝や陶磁器、金細工について解説しました。太閤検地の時代に駿河、遠江、三河の3国で70万石に満たない石高の今川氏が、桶狭間合戦で2万5000人ともいわれる兵力を動員できた背景には、商人を優遇した政策、東海道や太平洋の海運、安倍川や大井川の上流で行っていた金の産出で培った経済力があったことを説明しました。現在、発掘調査が行われている駿府城天守閣については、家康大御所時代の天守台の外れから、中村一氏時代の天守台の一部と約330点の金箔瓦が発見された成果を紹介しました。「一氏は家康が築いたばかりの五カ国時代の駿府城にそのまま入った」という従来の定説に対し、「家康の城を壊して自分の城を築いた」という説を提唱。「大御所時代の城の下に中村時代の城、その下に五カ国時代の城、その下に今川館の痕跡が見つかるのでは」と可能性を示しました。  

 水野茂名誉会長は「永享の乱と謎の狩野氏城郭」をテーマに発表。沼舘愛三氏が戦前に立てた「慈悲尾背後の山城が安倍城」とする定説を検証しました。平成8年に静岡古城研究会で発見した大篠山城(静岡市葵区蕨野・柿島)について、南麓の玉川地区に狩野姓が多く、武田氏に仕えた狩野弥次郎の存在から、「永享の内乱期に狩野氏が拠った奥城で、前身は南北朝期の安倍城だった」と考察。山自体の峻険な要害性に依拠している点が南朝系の城郭に酷似している点も指摘しました。一方、従来の安倍城については、狩野氏の領地外に位置していると強調。建穂寺城および徳願寺城と3城を並立させた運用が考えられ、東海道を幹線にして西側から入る糧道構造と広大な駐屯地が一致しており、将軍足利義教の命で導入された斯波氏が入ったとする考えを示しました。大篠山城の現地調査で体調を崩した後に心臓手術を受けたエピソードも紹介し、「まさに命懸けの調査となった。広域な安倍山には狩野氏の巨大山城がこの他にも眠っているはず。後に続く研究者に調査を託したい」と期待を寄せました。  

望月会長は「義忠・氏親の遠江侵攻と城郭」をテーマに、遠江の奪還を目指す今川義忠・氏親の親子2代の4次にわたる40年間の戦いを、勝間田城、横地城、高藤城、松葉城、三岳城といった関連城郭の遺構と関連させて概観しました。いずれの城も、16世紀後半に徳川氏や武田氏による改修もしくは後世の開発行為を受けており、当時の城郭遺構として明確に峻別できるものはないと説明。これらの城は今川氏が攻めた城であり、今川氏側の城郭の実態については不明な点が多い現状を確認しました。史料によれば、氏親は寺院などを陣所にしたことがあり、今後の史料の精査、寺院跡や土豪屋敷の発掘調査の蓄積などにより実態の解明を期待。「三河や北遠、駿河東部などの事例と比較検討しながら同時期の今川氏の城館について研究を進めていきたい」と意気込みを話しました。  

平井登副会長は、「『花蔵の乱』城郭から見る真相」をテーマに、玄広恵探がどのような経路で追い込まれて自害したのかを検証。小和田名誉顧問らが書籍などで示した「義元派は方上城を落とした後に二手に分かれ、葉梨城と遍照光寺城を攻めた」という定説に一石を投じて乱の実像に迫りました。平成19年に葉梨城周辺を悉皆調査して発見した桂島陣場、遠見番所、村良支塁、入野支塁および義元派の岡部氏と朝比奈氏の拠点城郭、一次資料に登場する恵探派の方上城、葉梨城を基に義元派の侵攻ルートを確認。桂島陣場は遠見番所と二つの支塁と連携性があり、岡部氏の朝日山城や朝比奈氏の朝比奈城を後詰めと捉えた場合、義元派の布陣は朝比奈城の出城である上の山城も取り込んだ南北7㌔にわたる範囲になるという。鶴翼の陣形に配置した城砦群から恵探派の城を同時に攻撃。恵探は唯一の尾根伝いに敗走せざるを得なかったと考察。「恵探の抹殺でしか乱が収まらないと睨んだ義元派の周到な戦術と戦法を桂島陣場の遺構が物語っている」とまとめました。  

川村晃弘副会長は「河東一乱と城郭」をテーマに、今川氏と後北条氏が富士郡や駿東郡で壮絶な戦いを繰り広げたという定説を検証しました。戦いの意義については「後に武田氏を交えて再び同盟を結んでおり、今川氏は三河へ、後北条氏は関東への侵攻が遅れ、両氏にとって必要のない争いだった」と分析しました。この戦いで今川義元が最初に入ったとされる善得寺城については、確かな史料に記載がなく、地形が城跡とは考えられない―などの問題点を挙げ、善得寺そのものに布陣したと考え、「城は存在せず、近くの城山を砦として防御した」と推定しました。両氏は侵攻した先で国衆や敵対勢力に対する多くの城砦を構え、調略を行ったが、富士郡や駿東郡ではそのような動きが確認できないことも合わせて指摘しました。その上で「大名間の都合が前面に出ており、決戦を指向しない外交や交渉が中心で激しい戦いはなかった。互いに正面に敵を抱え、背中で殴り合いをしていた感じになる」と考察しました。  

討論会ではパネリスト5人の講演や発表を振り返るとともに、今川系城郭の特徴について話し合いました。遺構が風化や改修によって不明瞭であり、山城はシンプルな連郭式、平地の居館は方形が基本になっている―といった意見が挙げられ、小和田名誉顧問は「今川系城郭には北条系の障子堀、武田系の丸馬出といった指標はなく、特徴がないのが特徴。今川氏の城と合戦に理解を深める有意義な一日になりました」と締めくくりました。 (文責:金剌信行)

『古城』第63号、投稿募集について

本会機関誌『古城』は、毎年7月に発刊いたします。内容は、中世城郭に関する論文・研究ノート・調査報告です。静岡県内中世城郭を中心に日本中世史・城郭史に関するものといたします。

〇投稿の締め切りは5月末日です。できれば4月中に表題と予定ページ数をお教えください。また、会員外の投稿者は事前に連絡をお願いします。掲載に関しては、編集会議で決定の上、連絡します。

〇原稿は、できるだけ電子データ提出でお願いします。メールに添付をしていただければ助かりますが、CDなどを郵送していただいても結構です(校正のとき返却します)。手書き原稿でも受け付けますが、その場合は早めに提出をお願いします。

〇第1稿ができ次第、校正のため郵送しますので、住所及び電話番号を明記してください。

〇割り付けもお願いします。図・表は何枚目に入れるか、わかるようにしておいてください。そのため、PDFを添付するかプリントアウトしたものを郵送をしてください。念のため図・表を含めた総ページ数もお知らせください。

〇1ページは、縦書きの2段組みで各段30字×24行です。図・表を含め20ページ以内を目安にしてください。

〇郵送の場合、以下の住所に送付してください。

 424‐0818 

静岡市清水区江尻町6-21 川村晃弘 

 メールの場合は kawaki@mtg.biglobe.ne.jp  

 お問い合わせは 090‐9222‐2305 にお願いします。

第265回見学会ご案内

今川氏の境目の城

ー尾奈砦・宇津山城・境目城・船形山城ー

春のおとずれとともに、山城めぐりが楽しくなる季節となりました。会員の皆さまにおかれましては、ますますご清栄にお過しのこととお喜び申し上げます。
本年、各地で開催される「今川義元公生誕500年祭」の記念事業に呼応するように本会でも昨年10月の東三河攻め、11月の西三河制圧と連続した見学会事業をおこなっています。そして今回は、「今川氏の境目の城」をテーマに、三河と遠江のまさに境目に築かれた尾奈砦・宇津山城・境目城・船形山城を訪ねます。今川氏の兵站基地としても活用された尾奈砦、東三河の国人領主戸田氏と争奪戦が行われた船形山城を、そして「宗長手記」にも登場する宇津山城等をじっくり堪能していただきます。
どうぞ、ふるってご参加くださいますようお願い致します。

実施日:平成31年3月17日(日曜日) *小雨決行、大雨の場合は見学先を変更。
見学先:〈湖西市〉尾奈砦・宇津山城・境目城 〈豊橋市〉船形山城
    〔脚力レベル:4/5〕
参加費:会員5,000円・非会員5,500円  当日朝バス内で集金 
乗り物:市沢バス(あずき色のボディカラーが目印)
出発地:静岡駅南口・スクランブル交差点 石田街道沿い左手(東側)付近
身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
担 当:乗松理事・小川理事 
締切り:3月11日(月)
申込み:参加申込みはこちら
日 程:8:00 静岡駅南口出発 → 東名・静岡IC → 8:15 日本坂PA下り等、乗車希望の東名下り線PAを申込の際、明記してください → 9:00 三方ヶ原SA(トイレ休憩等)→ 9:30 東名・三ケ日IC → 10:00 ~ 15:40の間に見学先を順次探訪
 尾奈砦跡 → 船形山城跡 (昼食)→ 宇津山城跡 → 境目城跡
→ 16:10 東名・三ケ日IC → 16:20 三方ヶ原SA → 各東名PA →
東名・静岡IC → 18:30 静岡駅南口帰着・解散

〔 見学先の概容 〕
【尾奈砦】浜松市北区三ケ日町下尾奈
当城は浜名湖北岸の猪鼻湖入口西側尾根上の本城山に築かれ、西側の三河との国境まで僅か5㎞程の位置にあり、南側の浜名湖対岸2㎞に三河進攻の拠点「宇津山城」、北東側、猪鼻湖対岸3㎞には「佐久城」を望むことが出来る国境の警護を目的とした境目の城である。天文16年(1547)の田原城攻めには「日々沢城」とともに兵站基地としても使用されている。この城は単郭式の縄張りで西尾根上の縄張りは技巧的でこの城の見どころである。
【船形山城】 豊橋市雲谷町字上ノ山
 当城は、静岡県境の弓張山地から東へ派生した船形山上に築かれ、城跡の北東尾根続きには「鎌倉街道」と呼ばれる峠道が存在し、城跡南東の山腹から麓にかけては平安~戦国期に存在したと考えられる普門寺の旧伽藍跡がある。
永正14年(1517)に今川方の境目の城館として多米又三郎が在城していたが、戸田氏の攻撃を受けて落城。その後、今川方の反撃により戸田氏らは撃退されている。永禄7~11年(1564~68)頃には小笠原氏が徳川家康の命を受けて守備についている。主郭は南側を除いた三方に土塁が巡る(ただし、東端部は鉄塔建設時の削り残した痕跡とも考えられる)。主郭北東斜面下の堀切、主郭のへの虎口、南尾根上の堀切状遺構等峠道と絡む遺構が興味をそそられる縄張りである。
【宇津山城】 湖西市入出字城山
 当城は、浜名湖西岸の湖に突き出た独立丘陵に位置している山城である。丘陵は秩父古生層からなる岩山で、丘陵の西側に標高50mの高山、東側に正太寺鼻の標高25ⅿほどのなだらかな城山と呼ばれる高低差のある地形となり、北・東・南の周囲三方が天然の水堀となっている。西側に丘陵が続き、三河国との国境となる湖西連峰の山並みに至る。当城が文献に登場するのは、宗長の記録『宗長手記』である。宗長が宇津山城を訪れたのは大永7年(1527)の4月のことである。記録からは、今川氏親の家臣長池六郎左衛門親能が大永年間に堀切や竪堀を配して築城したことがわかる。享禄年間(1528~1532)以降は、朝比奈氏が三代にわたって城主となっている。永禄11年(1568)12月12日酒井忠次を先鋒に徳川の遠江侵攻が開始され、12月15日宇津山城はあっけなく落城してしまう。その後、徳川氏の手によって改修され戦略的価値を終えた天正9年(1581)頃廃城となった。
【境目城】 湖西市吉美字川尻
 永禄10年(1567)三河の地を失った今川氏が徳川家康の遠州侵出を阻止せんとして、三遠の国境である吉美の妙立寺を撤収して、曳馬城の前衛基地の一つとして益田信濃守、水野惣兵衛を普請奉行として築城したものである。しかし、永禄11年徳川方の酒井忠次勢によって攻略され落城した。明治19年東海道本線敷説にその用土として、取り崩され、現在はその大部分が畑、宅地となり南西部の一部が当時の面影を留めているのみである。朝比奈氏の守る宇津山城とは近距離にあり、徳川氏に対する軍事的補強をするための城であった。

第264回見学会のご案内

北条早雲シリーズ・パート2
北条早雲(伊勢宗瑞)の東伊豆侵攻- 河津城と鎌田城 -

〈見学会のねらい〉
明応2年(1493)に伊豆に侵攻した北条早雲(伊勢宗瑞)は約5年間かけて伊豆を制圧するが、その中で抵抗勢力の蔭山氏・伊東氏との抗争の舞台となったと考えられる東伊豆地域の河津城、鎌田城の縄張を観察し、それぞれの縄張構造の特徴の比較や、両城がその後(永禄・天正期など)改修・使用された可能性の有無等について考察する。

  • 実施日  平成31年 1月20日(日)
  • 見学地  河津城(河津町)、鎌田城(伊東市)
  • 担当者  望月保宏・宮川茂美
  • 参加費  会員5,000円、非会員5,500円
  • バ ス   市沢さんのバス
    ※申込時に、乗車希望場所(静岡駅南口、富士川SA、道の駅・伊豆ゲートウェイ函南、伊豆急河津駅前)をご記入ください。
  • 申込み  締め切りました
  • 日程(予定)
    8:00      JR静岡駅南口集合、出発
    8:10      東名静岡IC
    8:30      富士川SA
    8:50      東名沼津IC(→伊豆縦貫道)
    9:15      道の駅 伊豆ゲートウェイ函南(休憩)
    10:00      (伊豆縦貫道)大平IC
    11:00      河津桜観光交流館前→河津城入口
    11:30~12:30  河津城見学(山上で昼食) → 13:00河津桜観光交流館前14:00      鎌田城入口
    14:30~15:30   鎌田城見学 → 16:00 鎌田城入口
    16:45      伊豆箱根鉄道 修善寺駅(*鉄道利用者はここで降車)
    17:15          道の駅 伊豆ゲートウェイ函南(休憩)
    18:30      東名静岡IC
    18:40      静岡駅南口着、解散

*小雨決行、悪天候(積雪等)の場合は見学地を変更することがあります。
*ハードな山城登山になりますので山歩きが苦手な方はご遠慮ください。

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