第255回見学会「謎の山城・浄福寺城と氏照」 参加報告

浄福寺裏から険しい山道を登り、本曲輪を目指す

数少ない小田野城の残存遺構を見学

本曲輪で昼食

城域北側の大堀切斜面を注意しながら下りる見学者

畝状空堀を観察する見学者

副住職様のご厚意で、浄福寺本堂を見学

貴重な仏像や曼荼羅なども文化財も見学させていただきました

3月19日(日)、春霞のうっすらと漂うまずまずの晴天のもと、「北条氏照の城郭シリーズ」の第3回目、八王子市の浄福寺城を中心とする見学会が、22名の参加者を得て行われました。

3連休の中日とあって朝から高速道路は混雑気味で、圏央道では渋滞に遭ってしまい、予定より20分程遅れて最初の見学地である小田野城に到着しました。同城は、北条氏に仕えた家臣の小田野源太左衛門の居城であるという説がありますが、土取り工事等で遺構の大半は失われ、現在は虎口状の遺構や段状に連なる曲輪の一部が残るのみです。参加者は、わずかに残る遺構や浄福寺城の位置を確認していました。

そして、11:30頃にいよいよ浄福寺に到着。お寺に挨拶を済ませた後、お寺の裏手の山道から一路本曲輪を目指しました。途中、適宜休憩を取りながら急な山道を登ること約30分。途中の竪堀や腰曲輪、虎口などを観察しながら一人の落伍者もなく、お昼には無事本曲輪に到着しました。

本曲輪で昼食を取った後、今度は東側・北側に連なる尾根の遺構を目指します。急な斜面を滑り降りるように下りたり、道なき道を歩いたり、困難なコースの連続です。それでも、連続する堀切や関東地方には珍しい畝状空堀、枡形虎口など良好に残っている遺構を目の当たりにして、感嘆の声を上げている参加者が多かったように思います。

城内を見学すること約3時間。ケガ人もなく、参加者は無事山を下りて麓の浄福寺に戻ることができました。浄福寺では、副住職の廣澤様のご厚意で本堂に入れていただき、数々の仏像や曼荼羅、襖絵、復元された駕籠等々、貴重な文化財を見学することができました。浄福寺城を築城したともいわれる国衆の大石氏に関連する物を思いがけず見学する機会に恵まれ、大変勉強になりました。副住職様はじめ浄福寺の皆様に厚く御礼申し上げます。

浄福寺城は、北条氏照の初期の居城とも、天正期の八王子城の出城的機能を果たした城郭ともいわれ、その築城年代、築城者などは謎に包まれています。参加者一行は、実際に遺構を観察しながら築城当時の状況に思いを馳せているようでした。

(文責:望月保宏)

 

第254回見学会「井伊氏の牙城・三岳城と直虎」参加報告

整備された井伊谷城本曲輪

平成29年(2017)1月15日(日)、今年年頭の見学会は、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台でもある浜松市北区引佐町の井伊谷とその周辺の見学会でした。大河ドラマで話題の舞台ということもあって今回も盛況で、見学者は“満員御礼”の32名となりました。

当日は、前日降った雪が残り、時折雪がちらつくものの、晴れ時々曇りのまずまずの晴天でした。

朝8時に静岡駅南口を出発したバスは、浜松西ICを出て一路井伊谷へ。先ず井伊氏の「詰めの城」ともいわれる井伊谷城に登りました。井伊谷城は大河ドラマで直虎がとり上げられると決まってから整備がされたようで、新しい看板があり、城に行く山道も整備されてありました。山頂の本曲輪周辺も、展望台が築かれたりベンチが置かれたりして、かつてよりもきれいに整備されていました。

井伊谷城を見学した後は、麓にある浜松市地域遺産センターへ。ここは見学会当日オープンということで、かなりの人出でした。ここでは、井伊谷の歴史がわかる資料が豊富に展示されており、大変よい勉強になりました。

「一の城」虎口(門跡)周辺

雪が残る三岳城本曲輪で雄大な景色を堪能する参加者

その後、今日のメインの見学地である三岳城へ。バスで三岳神社の駐車場まで行き、そこから山頂を目指したのですが、一帯は前日降り積もった雪で滑りやすくなっており、普段よりかなり苦労しながら山頂の本曲輪にたどり着きました。一行はそこで昼食をとり、雪景色の三岳城と、城から見える浜名湖周辺の雄大な景色をしばし堪能しました。その後一旦北西斜面に下り、周辺地域の城郭では珍しい石塁などの遺構を見学し、東側の曲輪、堀などの遺構をじっくり観察しました。

次に、再び井伊谷集落に戻り、渭井神社と隣接する天白磐座遺跡を見学しました。天白磐

「おんな城主直虎」のロケ地にもなった天白磐座遺跡

座遺跡は古墳時代から古代の祭祀遺跡で、井伊氏とも関係が深いといわれ、大河ドラマのロケ地にもなった所です。見学者の皆さんは磐座遺跡の神秘的な雰囲気を感じながら見学していたようでした。

次に、これまた井伊氏と関係が深く大河ドラマのロケ地として人気が急上

井伊家ゆかりの龍潭寺で乘松理事の説明を聞く参加者

昇中の龍潭寺に行きました。龍潭寺は、お客さんはかなり多かったものの多少余裕はあり、直虎をはじめ井伊家代々の当主や重臣の墓、門や建物などをしっかりと見学することができました。

最後に、当日午後にオープンしたばかりの大河ドラマ館を見学しました。

「おんな城主直虎」大河ドラマ館外観

ここはやはりオープン初日とだけあって、夕方に行ったものの人出が多く、かなり混雑した中での見学になりました。大河ドラマ館には、ドラマのセットを再現したコーナーや出演者の衣装などが展示してあり、ドラマの今後の展開にも非常に興味を注がれるようなものが並んでいました。

以上、今回の見学会は見学地も盛り沢山で、大河ドラマの世界を存分に楽しむことのできた見学会だったと思います。雪景色の三岳城も、登るのには少々苦労しましたが、十分思い出に残る風景ではなかったかと思います。(文責:望月保宏)

第253回見学会「新見解による信玄・勝頼の久野城攻め」参加報告

久野城東側にて

久野城東側にて

久野城本丸跡で水野会長の説明を聴く参加者

久野城本丸跡で水野会長の説明を聴く参加者

高平山砦北側にある遍照寺(本堂及び大仏の裏側に土塁が残存)

高平山砦北側にある遍照寺(本堂及び大仏の裏側に土塁が残存)

発掘で確認された高平山砦南部の堀跡付近にて

発掘で確認された高平山砦南部の堀跡付近にて

11月20日(日)、前日の雨も上がった晴天の下、第253回見学会「新見解による信玄・勝頼の久野城攻め」が予定どおり開催されました。見学会は、バスの定員を上回る36名の参加者があり、一部の方は自家用車で移動をお願いするほどの大盛況の見学会となりました。

一行は、まず今回の見学会のテーマの「標的」となった久野城を見学しました。同城は袋井市の教育委員会によって発掘調査及び整備が行われており、見学しやすい状態になっています。同城は織豊期に豊臣系大名の松下氏が入った際に大規模に改修され、江戸初期に北条氏重により徹底的に解体が行われているため、それ以前の状況を伝える遺構はわずかですが、それでも16世紀後半に武田軍と徳川軍が対峙していた際の位置付けを確認することができました。

 

次に、本庄山砦跡の麓を通って以前発掘調査で発見された大規模な横堀跡を見学した後、最近水野会長らによって発見された高平山砦跡に向かいました。同砦跡の北側には江戸時代に造られた大仏のある遍照寺があり、一行はそこで昼食をとりました。その遍照寺の本堂北側には、城郭に関連するものかどうかわかりませんが、土塁が残存しています。

昼食後、森町教育委員会の北島恵介氏の案内で、いよいよ高平山砦跡の現地へ。砦跡のあった丘陵上は弥生時代の集落遺跡や古墳群があり、古くからの人間の生活の跡がみられました。それらを横目に見ながら南側へ行くと東西に少し窪んだ場所があり、北島氏がそこを試掘した結果、堀状の遺構が出てきたとのことでした。そして更に南に行き、東側の斜面下を見ると、大きな「横堀」がありました。本庄山砦の発掘調査の際に発見された横堀と類似しており、高平山砦は武田信玄・勝頼が元亀~天正年間に久野城攻めの拠点として築いた砦である可能性が考えられます。

高平山砦南東の横堀(!?)

次に、飯田城を見学しました。この城は、当初は今川氏の被官である山内氏の居城であったということですが、同氏が徳川家康に滅ぼされ武田信玄が遠江に侵攻した後は、徳川軍・武田軍の陣城として活用された可能性が高い、とのことです。参加者は水野会長の説明を聴きつつ、土塁や堀切、虎口など見応えのある遺構を丹念に観察していました。

飯田城物見曲輪の説明板前で水野会長の説明を聴く参加者

今回は、元亀~天正年間における武田・徳川両軍の城郭遺構を訪ねた見学会でしたが、高天神城の攻防とはまた一味違った両軍のせめぎ合いの様相を垣間見ることができ、充実した見学会であったと思います。

(文責:望月保宏)

第252回見学会「桶狭間合戦における織田方の城」が開催されました

9月18日(日)、当会の第252回回見学会「桶狭間合戦における織田方の城」が、24名の参加者を得て開催されました。当日は朝から時折雨の降るあいにくの天気でしたが、幸い大雨にはならず、予定した見学地を全て回ることができました。

今回の見学会は、昨年の桶狭間合戦に関する今川方の城を見学したのに対し、織田方の城を見学してみようというものでした。

清洲城跡見学風景

清洲城跡見学風景

先ず訪れたのは、桶狭間合戦当日の信長出陣の地である清洲城跡です。 信長のいた場所は現在模擬天守閣の建っている場所ではありませんが、天守閣内の展示により当時の状況に思いをめぐらすことができました。

 

 

 


熱田神宮の信長塀を見学

熱田神宮の信長塀を見学

次に、信長が戦場に向かう途中に戦勝祈願に立ち寄ったとされる熱田神宮を訪れました。ここでは特に、桶狭間合戦の後信長が戦勝の御礼に寄進したという「信長塀」をみんなで見学しました。

 

 

 

 

善照寺砦跡で担当の川村副会長の説明に聞き入る参加者

善照寺砦跡で担当の川村副会長の説明に聞き入る参加者

次いで、信長が出撃前に入った善照寺砦跡を見学しました。砦跡は現在公園となっており遺構は残っていませんが、一行は現地に立って担当の川村副会長の説明を聞き、同砦が今川方の鳴海城からは見えず、戦場全体を見渡せる絶好の位置にあることを確認しました。 桶狭間合戦の勝敗の分岐点はこのあたりにあったのかも知れません。

 

 

今は住宅地となっている鷲津砦跡

今は住宅地となっている鷲津砦跡

その後、今川方の大高城を囲んだものの今川軍に撃破された砦の一つである鷲津砦跡を見学しました。砦跡は現在住宅地となっており、当時のイメージを想像するのはなかなか難しいものがありましたが、それでも、砦の立地からみた戦場の状況をうかがい知ることができたのではないかと思います。

 

 

桶狭間古戦場公園で当時の状況に思いをめぐらす参加者

桶狭間古戦場公園で当時の状況に思いをめぐらす参加者

そして最後に、織田軍と今川軍が激突し今川義元があえない最期を遂げたとされる桶狭間古戦場公園を訪れました。桶狭間古戦場は同公園の他に豊明市にもう1ヶ所あり、これ以外にも諸説あるのですが、参加者一行は候補地の一つである同公園内で、義元の本陣はどこにあったか、信長はどこから攻め込んだか、など熱心に議論を展開していました。

 

 

今回の見学会で訪れた場所は、城郭遺構としてきちんとしたものが残っている場所はありませんでしたが、それでも、現場に行って当時の状況を考察することの大切さを強く感じることのできた見学会だったと思います。

今回、ボリュームのある資料を作ってくださった川村副会長はじめ担当者の方々、そして参加者の皆さん、どうもお疲れ様でした。(文責:望月 保宏)

第251回見学会「川中島の戦いと上杉系城郭」に行ってきました

旭山城② 旭山城①善光寺①善光寺②長野駅葛山城①葛山城②大峰城①大峰城②桝形城③桝形城②5月14日(土)・15日(日)の2日間、第251回見学会「北信シリーズⅡ 川中島の戦いと上杉系城郭」が開催され、時折汗ばむほどの晴天の中、24名が参加しました。

一行は14日(土)朝7:30に静岡駅前を出発、バスで約4時間半の行程を経て長野市街に到着。そこからタクシーをチャーターして旭山城登り口の観音堂まで行き、昼食をとった後、一路旭山城に向かいました。同城は第2次~第3次川中島の戦いの際、武田方、次いで上杉方の軍事拠点として機能した城郭で、写真で見るような石積みや大規模な堀切が見事でした。

下山後はタクシーで善光寺に向かい、それぞれお参りをした後、第2次~第3次川中島の戦いの際に上杉謙信が陣を敷いたといわれる横山城に行きました。同城は、城跡自体は神社や公民館等の施設で改変を受けていましたが、城跡から旭山城と翌日行くことになる葛山城が一望に見渡せ、上杉×武田の対峙の状況を垣間見ることができました。この日の見学はこれで終わり、夜は長野駅が眼下に見える“天空のレストラン”欅屋びくらで小宴会が開かれ、参加者はご馳走に舌鼓を打ちながら城郭談義に花を咲かせました。

2日目は朝8時にホテルを出発、「バードライン」を通って葛山城に向かいました。同城は第2次~第3次川中島の戦いの際に上杉方の城郭として築かれたものの、第3次の戦いの弘治3年(1557)に武田方に攻め落とされたとされる城郭です。二重堀切や破城の痕跡かも知れないとされる畝状空堀群に、参加者のほとんどが感動していたと思います。ここの本曲輪で記念写真を撮りました。たまたま他のハイカーのグループとも会い、水野会長が急きょ「現地説明」を行うなど、和やかな雰囲気で交流が行われました。

次に大峰城を見学しました。この城は残念なことに本曲輪に模擬天守が建ってしまい当時の城郭の面影を台無しにしていますが、その周辺には見事な竪堀・堀切が走っており、川中島の戦いを含めた戦乱の際に同城が軍事拠点として機能した可能性が強いことを示すものでした。

大峰城で昼食をとった後、今回の見学会の最後の見学地となる桝形城を見学しました。同城は重ね馬出しや横矢掛り、虎口など武田・上杉軍双方にない特徴があり、むしろ小田原北条氏の城郭に近い形態がみられるなど“不思議な”城郭で、今後更なる調査・検証が楽しみな城跡でした。

桝形城見学後若干時間が余ったので、最後に第4次川中島の戦いで激戦地となった八幡原古戦場を訪れ往時をしのんだ後、バスで帰路に着きました。帰りは予定より早く19:30過ぎに静岡駅前着。心地よい疲れと充実感が余韻として残った1泊見学会でした。