第264回見学会報告

北条早雲(伊勢宗瑞)の東伊豆侵攻 -河津城と鎌田城-

実施日:平成31年1月20日(日)
天 候:曇り
参加者:26名
担当者:望月副会長、宮川理事

 年明け第一弾の見学会は昨年に引き続き、北条早雲こと伊勢宗瑞にスポットを当てた関連城郭見学会を実施しました。往路休憩地「ゲートウェイ函南」付近で小雨が降出し、一時は濡れる覚悟を決めたものの次第に雨も止み、その後のスケジュールに影響を与えるような天候とはなりませんでした。

 河津桜観光交流館駐車場に到着後、河津城登城口に移動しここで鉄道移動された方々3名を掌握し、城跡の残る山上を目指しました。登城路は過去に整備された痕跡のあるものの、経年変化や猪などの野生動物が地面を掘起こした跡も散見され、それに加えて落ち葉等が多く、傾斜のきつい急登路で汗の出るほどでした。
河津城は在地土豪の蔭山氏が築城し、落城の際には城内備蓄の米を撒いて消火を行ったという伝承がある他は当時の文献史料がなく、江戸時代後期に編纂された「豆州誌稿(秋山富南)」及び「掛川誌稿(山本忠英)」があり、その後地元の郷土史や昭和56年に刊行された「静岡県中世城館跡」に掲載されることとなりました。

平成3年に河津町で公園整備の一環として同町教育委員会により発掘調査が行われました。調査の結果、築城の時期は判然としませんが発掘調査の出土遺物の陶器片などから15世紀後半から16世紀初頭に城郭としては機能していたものと考えられています。この発掘調査前後の時期に当会の水野会長をはじめとする研究者が現地踏査を実施されました。

山上の城址主要部において、望月副会長による見学会資料に基づく概要説明が行われ遺構の見所を再確認した後、北方に延びる稜線上を移動し良好に残る曲輪や切岸・堀切を見学しました。曲輪には明確な土塁が有りませんが、切岸からは当時の急峻さを感じとることができ、戦国時代初期の連郭式の山城の形態を残すシンプルな縄張りを楽しんで頂けたと思います。見学終了後、山上にて昼食及び記念撮影をしたのち洋上の伊豆大島や利島の島影を見ながら下山し次の目的地である伊東市の鎌田城に移動しました。鎌田城入口まで概ね1時間程のバス移動になりましたが途中、相模灘に虹がかかり天候の回復が期待されました。

鎌田城も河津城同様に築城から落城までの文献史料が残されていません。平成15年・16年に伊東市教育委員会の市史編纂事業の一環として発掘調査が行われました。この発掘調査に基づく考古学的な知見と、縄張りを主とする城郭史的観点からの見解の相違が議論されています。埼玉県にある杉山城をはじめとする各地の城郭でも同様な問題点の提議があり、部分的調査の出土遺物で年代を決めることに対し「慎重になるべきでは?」とか高度な縄張り構成から天正18年の豊臣秀吉の小田原攻めに際して「北条氏の支城として機能していたのでは?」など多くの意見が主張され、近年鎌田城への関心が高まっています。

 虹のご利益なのか鎌田城入口到着時には風もなく薄日のさす山登りには適した天気となりました。小休止した後移動を開始し沢ぞいの足元の悪いガレ場を経て遊歩道を20分程度歩くと城域に到達しました。おそらくこの道が大手道だったのでしょうか。いきなり見学者一同を出迎えたのは、方形状の曲輪を連ねた「重ね馬出」と、この馬出の南側から西側に土塁・堀切・竪堀を連結させた遺構群が目に飛び込んできました。望月副会長からはこの遺構群は鎌田城で一番の見どころとの説明がありました。

更に山上部に進むと三角形状の広い削平地が広がり、朽ち果てた神社のお社が鎮座していました。この削平地は鎌田城の主曲輪とされ、地表面観察により土塁状の高まりが確認でき、おそらくこの曲輪は周囲を土塁で囲まれていたことが推測できました。また見学会資料の縄張り図からこの主曲輪を中心として放射状に曲輪が配置され、それらを防御するため竪堀などの障害構成が施されていることが現地において確認することができました。

午前中に見学した河津城は、自然地形を巧みに利用して稜線上に切岸と堀切を設けてその間に曲輪を配置する連郭式の縄張りとしているのに対し、鎌田城の縄張りは一つの山を大規模な土木工事により技巧的な曲輪の配置や障害の設置などを主眼に築城されていることを改めて感じることができました。

帰路のバスの車中において、今日見学した2つの城郭の年代観について望月副会長から説明がありその中で、2つの城郭の発掘調査で出土した陶磁器の編年は15世紀末から16世紀初頭のものであり、2つの城郭の機能した時代は同じではないだろうか。更にこの15世紀末から16世紀初頭に伊豆半島において歴史的にどのような事件があったのか、それは明応2年(1493年)、北条早雲の伊豆の堀越御所における足利茶々丸追討から始まり、明応7年(1498年)伊豆下田の深根城攻略があり、河津城及び鎌田城もこの時期の早雲による伊豆侵攻によるものと結論づけられているとのことでした。

 今回、北条早雲(伊勢宗瑞)シリーズの第2弾という位置付けで、河津城及び鎌田城の見学会を実施しましたが、来年度に同シリーズの第3弾を企画検討中でありますので、ご期待頂ければと思います。

                          (文責:宮川茂美)

第263回見学会の報告

山中城本丸に立つ城址碑前で

今回の「今川氏の西三河制圧と山中城・岡崎城」見学会は、前回に引き続き「今川義元公誕生500年プレ事業」の一環として行いました。当日は晴天で歩くと汗が出てくるほどでした。

今川軍が築いた山中城を羽栗集落から望む

東海道に向かう尾根を遮断する大堀切

最初の山中城は、もともとは西郷氏の居城でしたが、その後松平氏の居城となり、後に今川氏の西三河攻略の拠点となっています。しかしその後徳川家康により改築されており、水野会長より事前に山中城の築城を検証し、今川の築城痕跡をさがすことを求められました。大手口より登りましたが遊歩道が整備されておりスムースに歩くことができました。山頂付近を中心に、空堀・曲輪・土塁等の遺構が残されており非常に見出がある城郭でした。徳川の関東移封により廃城となりましたが県下最大級の規模を持つ山城であり、連郭式の城郭として理解できる城址でした。

次の「小豆坂合戦場跡」は、今は道のわきに記念碑がたっているだけの場所で少しさみしいと感じたのは、私だけでしょうか。ここでは、義元の西三河制圧に伴う織田信秀との合戦あとで多くの人々が眠っています。

古絵図を用意した奥田氏の説得力のある見解

今川軍が勝利した小豆坂の合戦場跡

次は岡崎城、ここでは岡崎市文化財保護審議会委員であり愛知中世城郭研究会(代表)の奥田敏春氏に特別講師をお招きし、近年の発掘成果や整備事業等について熱い言葉で説明を頂きました。特に公園内を飛び出し、当時の城郭の痕跡を説明されその大きさに改めて驚きました。また石垣を巡り当時のもの、再建されたもの等を見物しました。

本丸前面に構える大馬出(持仏堂曲輪)の青海堀も圧巻

二の丸東側の「東切通」の古い石垣遺構

石垣めぐりコースが通常の見学コースにあり、「もの言わぬ歴史の証人・・・石垣」ということで岡崎産の花崗岩が使用された様子を見た上で、岡崎城の複雑な縄張りを再度見直しました。(桜の季節はきれいだろうな

今回は、山中城と岡崎城ということでしたが、山城と近世城郭のそれぞれの面白さを堪能しました。来年は、「今川義元公 生誕500年」という節目の時であり、静岡・浜松・岡崎市ではそれぞれ記念イベントが行われることでしょう。当会も来年は、独自のイベントを企画中です。こうご期待ください。 文責:各務博俊

第262回見学会報告

今川義元公生誕500年プレ事業
今川義元の田原城攻め

実施日:10月21日(日)
天候:晴れ
参加者:24名
担当者:川村、齋藤、澤田

今回の見学会は、今川義元公生誕500年プレ事業として、今川義元の東三河侵攻における最初の標的となった戸田氏に関連する城郭を訪ねました。

二連木城址

 

静岡からバスで出発。東名高速を豊川ICで降り、途中、吉田城をバスから見ながらまず二連木城に向かいました。城の西にある東田神明宮でバスを降り、城跡である大口公園に向かうと、北に張り出した台地の先端部分に立地していることがよくわかります。現地は公園を囲むように土塁が残っています。

 

次に、見学会開催直前に吉田城の見学が時間的に難しいことがわかったため、予定を変更し大崎城に向かいました。往時、城の西直下は三河湾でしたが埋め立て地になっています。中世から近世まで使われた城郭ですが、城の東側には江戸期に陣屋が置かれたり、戦前、主郭に海軍の地下壕が築かれたりしています。発掘調査も行われましたが、残念ながら現在はほとんどが藪となっており見学は難しくなっていました。

大崎城址

主郭東にある幸稲荷神社で昼食をとったあと、主郭との間の深さ10m近くの大きな堀を中心に見学しましたが、一部の人は藪をかき分け土橋から主郭に進入していました。

次に、大津城(高縄城)に向かいました。大津城は戸田氏が初めて渥美郡で本拠を構えたとされる場所ですが、現在はほとんどが学校の敷地となっているなど事情があり、校門付近に建てられた標柱を見学するにとどめました。

次に今回の見学会のメインである戸田氏の本拠田原城に向かいました。
現在は大部分が市街地化されており、遺構が残るのは限られた部分ですが、その中でも顕著なのは三の丸と本丸との間の大きな堀切です。桜門から入ってこの堀切を見学後、現在は巴江神社が建つ本丸に進み、左手に土塁を見ながら神社の背後にある稲荷社の方に向かい本丸の最北端を見ました。そして二の丸にある博物館を見学後、バスで大手道を経て惣門跡を通り、最後の見学地として戸田氏の墓所がある長興寺に向かいました。

長興寺には戸田氏の菩提寺で歴代の墓所がありますが、戸田氏と姻戚関係にあった九鬼守隆の墓所や戸田宗光を猶子としたといわれる一色七郎の小さな石塔もありました。また、墓所の前には戸田氏の最大版図を示す掲示板が建っていますが、残念ながら消えかかっていました。

帰路は海沿いの表浜街道を通り、遠州灘を望みながら浜名湖の東を北上し浜松西ICから東名高速に入るルートで静岡へと戻りました。

 

当日は、時代考証や『今川氏滅亡』などの著書で知られる大石泰史先生も参加され、大変有意義な見学会となりました。(文責:澤田)

第35回全国城郭研究者セミナー報告

8月4日(土)・5日(日)、中世城郭研究会主催の第35回全国城郭研究者セミナーが、お隣の愛知県豊橋市公会堂で開催されました。当会からも、水野会長・川村副会長以下多くの会員が参加しました。

 1日目の8月4日(土)の午前中は、セミナーに先立ち豊橋市文化財センター主催の「『三河の城』報告会」が開催されました。これは近くの豊橋市美術博物館で開催中の企画展「みかわの城-吉田城と天下人-」の関連企画で、松田繁氏の「蒲郡の城館」、岩原剛氏の「吉田城の考古学」、高田徹氏の「豊橋付近の城を歩く、見る、考えてみる」の3つの報告が行われました。いずれも最新の縄張研究、考古学的調査の成果を盛り込んだ興味深い報告でした。 続きを読む

第261回見学会の実施報告

霧山城にて

4月21(土)・22日(日)、当会の平成29年度の最後の見学会となる1泊見学会が、三重県中部の山城を目的地に行われました。今回は「国司大名」の一つで南北朝時代から戦国時代に伊勢を中心に繁栄し、最終的には天正期に織田信長によって滅ぼされた北畠氏関連の山城をめぐる見学会でした。参加者は23名+現地で合流2名の総勢25名と、まずまずの人数となりました。

1日目の4月21日(土)、雲一つない快晴の天候の下、7:30に静岡駅南口を出発。西部地区の参加者を途中のICやPAで拾い、途中四日市周辺で渋滞に遭いながらも、出発から約4時間で現地に到着しました。

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