第263回見学会報告

今川義元公生誕500年プレ事業
今川義元の田原城攻め

実施日:10月21日(日)
天候:晴れ
参加者:24名
担当者:川村、齋藤、澤田

今回の見学会は、今川義元公生誕500年プレ事業として、今川義元の東三河侵攻における最初の標的となった戸田氏に関連する城郭を訪ねました。

二連木城址

 

静岡からバスで出発。東名高速を豊川ICで降り、途中、吉田城をバスから見ながらまず二連木城に向かいました。城の西にある東田神明宮でバスを降り、城跡である大口公園に向かうと、北に張り出した台地の先端部分に立地していることがよくわかります。現地は公園を囲むように土塁が残っています。

 

次に、見学会開催直前に吉田城の見学が時間的に難しいことがわかったため、予定を変更し大崎城に向かいました。往時、城の西直下は三河湾でしたが埋め立て地になっています。中世から近世まで使われた城郭ですが、城の東側には江戸期に陣屋が置かれたり、戦前、主郭に海軍の地下壕が築かれたりしています。発掘調査も行われましたが、残念ながら現在はほとんどが藪となっており見学は難しくなっていました。

大崎城址

主郭東にある幸稲荷神社で昼食をとったあと、主郭との間の深さ10m近くの大きな堀を中心に見学しましたが、一部の人は藪をかき分け土橋から主郭に進入していました。

次に、大津城(高縄城)に向かいました。大津城は戸田氏が初めて渥美郡で本拠を構えたとされる場所ですが、現在はほとんどが学校の敷地となっているなど事情があり、校門付近に建てられた標柱を見学するにとどめました。

次に今回の見学会のメインである戸田氏の本拠田原城に向かいました。
現在は大部分が市街地化されており、遺構が残るのは限られた部分ですが、その中でも顕著なのは三の丸と本丸との間の大きな堀切です。桜門から入ってこの堀切を見学後、現在は巴江神社が建つ本丸に進み、左手に土塁を見ながら神社の背後にある稲荷社の方に向かい本丸の最北端を見ました。そして二の丸にある博物館を見学後、バスで大手道を経て惣門跡を通り、最後の見学地として戸田氏の墓所がある長興寺に向かいました。

長興寺には戸田氏の菩提寺で歴代の墓所がありますが、戸田氏と姻戚関係にあった九鬼守隆の墓所や戸田宗光を猶子としたといわれる一色七郎の小さな石塔もありました。また、墓所の前には戸田氏の最大版図を示す掲示板が建っていますが、残念ながら消えかかっていました。

帰路は海沿いの表浜街道を通り、遠州灘を望みながら浜名湖の東を北上し浜松西ICから東名高速に入るルートで静岡へと戻りました。

 

当日は、時代考証や『今川氏滅亡』などの著書で知られる大石泰史先生も参加され、大変有意義な見学会となりました。(文責:澤田)

第35回全国城郭研究者セミナー報告

8月4日(土)・5日(日)、中世城郭研究会主催の第35回全国城郭研究者セミナーが、お隣の愛知県豊橋市公会堂で開催されました。当会からも、水野会長・川村副会長以下多くの会員が参加しました。

 1日目の8月4日(土)の午前中は、セミナーに先立ち豊橋市文化財センター主催の「『三河の城』報告会」が開催されました。これは近くの豊橋市美術博物館で開催中の企画展「みかわの城-吉田城と天下人-」の関連企画で、松田繁氏の「蒲郡の城館」、岩原剛氏の「吉田城の考古学」、高田徹氏の「豊橋付近の城を歩く、見る、考えてみる」の3つの報告が行われました。いずれも最新の縄張研究、考古学的調査の成果を盛り込んだ興味深い報告でした。 続きを読む

第261回見学会の実施報告

霧山城にて

4月21(土)・22日(日)、当会の平成29年度の最後の見学会となる1泊見学会が、三重県中部の山城を目的地に行われました。今回は「国司大名」の一つで南北朝時代から戦国時代に伊勢を中心に繁栄し、最終的には天正期に織田信長によって滅ぼされた北畠氏関連の山城をめぐる見学会でした。参加者は23名+現地で合流2名の総勢25名と、まずまずの人数となりました。

1日目の4月21日(土)、雲一つない快晴の天候の下、7:30に静岡駅南口を出発。西部地区の参加者を途中のICやPAで拾い、途中四日市周辺で渋滞に遭いながらも、出発から約4時間で現地に到着しました。

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第260回見学会報告

岩殿城で集合写真

実施日:平成30年3月18日(日) 天候:晴れ 参加者:26名
担当者:乗松理事、澤田理事、小川理事

岩殿城とふれあいの館

3月の見学会は、武田氏滅亡を決定づけた裏切りで有名になってしまった小山田氏の関連する城郭3ヶ所を訪ねました。静岡からバスで出発。東名高速道路、御殿場ICから国道138号線、東富士五湖道路、中央高速道路を経て大月ICで降り、大月市民会館でバスを降りて現地集合の方々と合流し、さっそく岩殿城へ向かいました。麓から見る岩殿山は切り立った岩盤の壁が来る者を拒むかのようで、整備されているとはいえ、登山道はかなり厳しく体力を消耗しました。揚城戸とよばれる岩場を利用した虎口を抜けると山頂に至ります。山頂部には物見台、馬場、倉屋敷、狼煙台(本丸)とされる場所があるものの遺構はほとんど見られません。

岩殿城揚城戸跡

この城で見どころといえるのは本丸の東にある2条の堀切ですが、事故防止のため進入禁止となっていたため、手前から眺めるのにとどめました。下見の際は問題なく見ることかできただけに大変残念でした。馬場の下方にある2つの池を見学の後、昼食をすませ、記念撮影をして下山しました。山頂からの眺望はすばらしく、南西方向に雪を頂いた富士山もくっきりと見え、参加者は盛んに写真を撮っていました。次に、岩殿城の北方にある駒宮砦に向かいました。この砦に行くには北からと南からの2つのルートがありますが、バスの乗り入れの制約もあり、南からのルートをとりました。途中からは道も定かでない斜面を直登することになり、参加者は長い列になってゆっくりと登っていくことになりました。この砦は烽火台ともいわれていますが、意外と広い城域、堀切など良く残る遺構を観察すると、街道を監視する役目をもった砦であろうと思われます。参加者は興味深げに城域を隅々まで見て回っていました。

勝山城本丸

見学会の最後は、数年前にも当会で訪れた勝山城を訪ねました。本丸までの途中には南に張り出した川棚見張台をはじめ、三の丸、二の丸や帯郭などがあり、本丸への道沿いには石垣も見られます。本丸からの眺望は岩殿城同様すばらしく、眼下には居館があったとされる谷村の街並みが見えました。本丸からは北尾根に向かい、途中堀切を経て大沢の見張台まで行き、この後、本丸西直下を廻る内堀を辿り下山しました。当日は、当会顧問の小和田先生も参加され、レクチャーもしていただき、大変有意義な見学会となりました。(文責:澤田)

第259回見学会報告

北条早雲(伊勢宗瑞)と伊豆狩野氏の戦い
― 柏久保城・大見城・狩野城 ―

実施日:平成29年1月21日(日)
天 候:曇り
参加者:26名
担当者:望月副会長、宮川理事

年明け第一弾の見学会は、北条早雲こと伊勢宗瑞にスポットを当てた関連城郭見学会を実施しました。当日は晴天とまでは行きませんでしたが、寒風も多少和らぎ、絶好の見学日和となりました。また、前日に伊豆の国市にある「アクシスかつらぎ」で行われたシンポジウム「韮山城をめぐる攻防」に参加され三島市内に宿泊、連日の参加となった強者の方々もおられました。
伊豆箱根鉄道修善寺駅にて、2名の参加者を掌握後に柏久保城登城口までマイクロバスで移動、城址への歩道は落ち葉等が多く歩きにくい場所もありましたが、容易に目的地に到達することができました。

柏久保城堀切

柏久保城の創築時期は判然としませんが、鎌倉幕府草創以来の御家人である狩野氏の出城として築かれたとされ、明応2年(1493)以降において反早雲派の狩野氏と対立の際、早雲が伊豆国平定のため、大見三人衆等に普請させたと考えられています。 望月副会長の現地説明で、「柏久保城に残る堀切や土塁は、西側と南側にしか見られないが、これは明らかに狩野氏からの攻撃を想定した縄張りで、北東側の深い谷の名称は新九郎谷と呼ばれている。」という説明に参加者は興味深めに聞き入っていました。柏久保城及び次の見学地の大見城からは、天気が良ければ富士山を眺望できる絶好の場所でもありますが、当日は残念ながら雲が多くその雄姿を見ることは出来ませんでした。
柏久保城の見学を終了し中伊豆の大見城に移動、「伊豆大見の郷 季多楽」という農産物直売所の駐車場にて下車、すぐ近くにある大見氏の館跡と言われる實成寺を見学後、隣接する諏訪神社の鳥居から大見城に向かいました。ここは以前、「中山間地域総合整備事業」の一環で農村公園として整備されていましたが、最近では人の手が入れられた形跡はなく、散策路にある橋は朽ち落ちる寸前であり、竪堀も崩落した場所が散見されるなど現地の状態はあまり良くありませんでした。

大見城現況

大見城は狩野川の支流である大見川と冷川の合流点の南側にある小山の頂を中心に築かれた城郭で、修善寺から冷川峠を通り、伊東に向かう街道を抑える要衝に位置し当初は東側に伊東氏、南側に狩野氏という伊勢宗瑞に敵対する国衆勢力の間にあって、宗瑞方の重要な戦略拠点であったことが窺えます。
明応6年(1497)、伊勢宗瑞方として大見三人衆(佐藤藤左衛門・梅原六郎左衛門・佐藤七郎左衛門)が大見城から出撃し、柏久保城を攻撃中の狩野方を背後から攻め退却を余儀なくさせるとともに、同年には大見城に籠城したことが文献に残されています。重厚な縄張りとは言えませんが、前述の大見三人衆が立て籠もるにはコンパクトで理に適った城郭だったことを現地見学を通しての印象でした。

狩野城主郭

大見城で昼食後、本日のメインである狩野城に向け移動、狩野城は修善寺から天城湯ヶ島に至る狩野川流域を本拠としていた狩野氏が築いた城郭とされ、狩野荘のほぼ中央の下田街道を見下ろす丘陵上にあり、築城時期については判然としませんが、15世紀後半と考えられています。現在の狩野城は、地元ボランテアの手により遊歩道の整備が行われ、立ち木もほどよく伐採され、遺構の観察もしやすくなっており、また随所に狩野城をアピールする幟旗が立てられていました。また城の遺構は埋蔵文化財包含地として登録され、さらに伊豆市の指定史跡となっています。

狩野城二重堀切

遺構は、柿木川と狩野川に挟まれた、標高180m、比高80m程の城山の山頂部付近の尾根沿いに展開しており、特に西南部には技巧的な土塁や空堀で構成された曲輪が目立ち、また尾根の南東部末端に位置する二重堀切は素晴らしいものでした。その他に主曲輪と考えられる平坦地には廃屋と化した御堂があり、その南側には、かなり高く櫓台と思しき遺構が残っており狩野城の最高所となっていました。見学の最中に会員の方々と狩野城の年代観について意見交換し、特に前述の二重堀切の年代観については色々な意見を拝聴でき有意義な時間となりました。また狩野城見学終了直前に、参加者数名が縄張図に記載のない遺構らしきものを発見され、今後の遺構精査の必要性を感じた次第です。

韮山城堀切

本来ならば見学会スケジュールは狩野城で終了予定でしたが、時間的余裕が出来たので、遺構整備が続く韮山城の三重堀切と土手和田砦の見学を実施しました。両遺構とも、最近までは藪が生い茂り人の立ち入りを拒むような状態でしたが、「韮山城を復元する会」の方々のご尽力により、藪が切り開かれて普段見ることのできない土手和田砦の遺構や圧巻ともいえる韮山城三重堀切に参加者一同興味深めに見学していました。

今回、北条早雲(伊勢宗瑞)シリーズの第一弾という位置付けで見学会を実施しました。来年度に同シリーズの第二弾見学会の実施を企画検討中でありますので、ご期待頂ければと思います。(文責:宮川茂美)