第257回見学会報告

仏坂の戦いと井伊氏一門の興亡

渋川城跡遠望

今回の見学会は、本年1月の見学会に続き、井伊氏に関わる城郭とともに、武田軍別働隊の井伊谷侵攻時の激戦地、仏坂を訪ねました。
台風による天候悪化の影響で10月1日に延期・開催となりましたが、当日は9月中の猛暑もおさまり、天気もまずまずのコンデションでした。
まず、渋川城跡に向かいました。街道の分岐点を見下ろすように立地しており、東側は堀と思われる小川が流れています。付近に遺構は見られませんが、井伊共保墓と伝えられている石塔や付近に残る地名「スロウ」を表す「守楼」や「殿界戸」と書いてある立て札が建っていました。

井伊共保の墓

そこから北に少し歩くと、浜松市の天然記念物に指定されている「渋川のボダイジュ」があり、そのかたわらに渋川井伊氏の墓がありました。「殿界戸」にあったものをこちらに移したもので、8基の墓の中には井伊直親の墓とされるものもありました。

このあと、井伊直親が信州に逃れる直前に匿われたという東光院を訪れ、寺の裏にある直親の供養塔を見るとともに、ここから遠く渋川城を望み、立地を確認しました。

柿本城跡主要部

次に柿本城跡に向かいました。国道257号線の道の駅「鳳来三河三石」でバスを降り、城跡に向かいました。城跡は本丸に丸太で柵や門が復元されるなど整備されていますが、虎口、堀切などの防御遺構はなく、武田軍の侵攻に整備が間に合わず開城した話が裏付けられるようでした。

柿本城跡から戻って満光寺に立ち寄りました。寺の方から寺の裏にある庭園などについての説明をしていただきました。

 

ふろんぼ様

井平城跡石碑

井平井伊氏の墓

この後は、当日のメインである旧鳳来寺道を歩いて井平城跡に向かいました。
新東名高速道路「浜松いなさIC」近くの国道257号線沿いにある前嶋屋付近から山に入り、途中、「亀之丞かくれ岩」や「新ふろんぼ様」、「ふろんぼ様」そして仏坂観音堂といった仏坂古戦場の関連史跡を見学しました。戦いに関わる遺構は特にありませんが、三方原合戦の前哨戦であるこの戦いが行われたというこの地の雰囲気を味わいました。さらに旧鳳来寺道を進み、北側から井平城跡に向かいました。井平城は北側に防御遺構がなく、武田軍の侵攻には無力であったと考えられます。現在も民家がある本曲輪の背後には堀切等の防御施設はなく、下段に向かって曲輪が並んでいるだけの構造で、見学者の中からも城としての機能に疑問の声があがっていました。続いて、近くにある井平氏の墓所に立ち寄りました。ここには井伊直平の末子といわれる井伊河内守直種とその妻、小田原合戦で戦死した子の弥三郎の墓がありました。

最後に、時間に少し余裕があったので、大河ドラマで人気となった小野但馬守政次の墓といわれる石碑を見学しました。もともとは桶狭間の戦いでの戦死者の供養塔と伝えられていましたが、最近、そのように言われるようになり、看板も建てられていました。

参加者は16名と当初申込みよりかなり減ってしまいましたが、渋川井伊氏の本拠の風景や戦国期の典型的な城とは異なる城を見学し、武田軍別働隊の想定侵攻ルートの一部を体験することで、さらなる考察が深まったと思います。(文責:澤田孝治)

 

平成29年度定期総会と「ふじのくに山城セミナー」の報告

平成29年度定期総会と第25回研究成果発表会「ふじのくに山城セミナー」を7月16日、静岡市清水区の清水テルサで開きました。

会員約40人が参加した定期総会では、28年度の事業報告と決算報告、29年度の事業計画案と予算案等を承認。29年度も「城郭の構造と運用を、楽しく学び・調べ・究めよう!」をスローガンに『縄張図集成』の編纂事業や県内外への見学会等に取り組むことを発表しました。『縄張図集成』編さん事業では、24年に発刊した駿河国版に続いて、遠江国版、伊豆国版の発刊に向けて調査、研究、執筆を推進することを確認しました。
水野会長はあいさつで「研究会を名乗る以上、『縄張図集成』の発刊が最優先事業となる」と強調。県西部で次々と城館跡が発見されつつも調査が進んでいない現況を示し、会員のさらなる協力や若手調査員の育成を呼びかけました。

総会後、一般者を加え約90人が聴講した「ふじのくに山城セミナー(研究成果発表会)」では、静岡市出身で大河ドラマ「おんな城主・直虎」の時代考証を務める大石泰史氏(大石プランニング主宰)が「室町以前の井伊氏―その系譜と文書から見た関連城郭―」をテーマに記念講演されたほか、会員3氏が研究成果を発表しました。

大石泰史氏の記念講演

大石氏は史料の記述や一族の名の変遷などから井伊氏の来歴や系譜を整理し、南朝や北朝、今川氏、斯波氏などとの関わりを解説。時代とともに変化する城郭の運用方法を明らかにされました。
系譜については、「良」「共」「直」といった通字の使われ方によって嫡家や庶家が入り交じる複雑な家督継承を解説しました。井伊氏の所領は三河と遠江の結節点にあり、舟運にも恵まれ、領内に分布する庶家も含め、かなりの経済力を持っていたことを説明されました。南北朝期から戦国期まで運用された三岳城については、井伊氏の本拠井伊谷からやや離れた位置にあり、嫡流がいなくなった後に南下してきた渋川井伊氏が使っていた可能性も指摘されました。
その上で「これまでは、嫡庶を視野に入れずに井伊氏を考察してきたが、今後はいろいろな系統の井伊氏がいたことを認知する必要がある」とまとめられました。

研究成果の発表では川村晃弘副会長、平井登事務局長、水野会長が登壇しました。

川村晃弘氏の発表

川村副会長は「宗長親王と駿遠の城郭」をテーマに発表。▽宗良親王と『李花集』の「暗号」▽南北朝期の「城郭」は「シロ」か▽天下分け目の井伊谷大戦」▽安部城と狩野介貞長▽宗良親王はいつ駿河に来たのか―といった視点で、駿遠両国を中心とした親王の動向や城郭との関わりをまとめた成果を関連の資料や写真を示しながら説明しました。

平井事務局長のテーマは「檜峠・菩提山中腹に謎の砦遺構を発見」。藤枝市滝沢と島田市伊久美の境をなす菩提山の中腹(標高570㍍)に、今年3月発見したばかりの城郭寺院遺構について写真を交えて紹介しました。今川氏の宰相・太原崇孚雪斎が開山したと伝わる菩提山領珠院跡地とその上に展開していた砦遺構について、縄張り構造から読み取れる運用を説明しました。

平井登氏の発表

特に、天正期を彷彿させる明確な横堀と土塁、その横堀に前後を挟まれた細長い曲輪と楕円状の窪みを狼煙場と捉え、また、食違い虎口西側斜面の土塁と横堀は高天神城や丸子城に通じる武田系城郭の技巧的な構造であると説明した。その上で、本遺構は武田末期における西駿河の山間奥地と志太平野の拠点城・田中城を結ぶ「繋ぎ城」であり「狼煙台」の蓋然性が高いとし、天正九年六月六日付の穴山信君書状に示された「峠普請」に該当する可能性を指摘しました。

水野茂氏の発表

水野会長は昨年に引き続き、『縄張図集成』編纂事業で調査を進めている森町にスポットを当て「山城から見る森町一宮地域の戦国史」をテーマに発表しました。太田川左岸の同地域に数多く存在する城郭の中から武田系の8カ城を厳選してスライドで紹介。森町一帯で5期にわたって繰り広げられた武田・徳川両氏の抗争を説明しました。一宮地域の城は大規模な駐屯地または曲輪を備えた二郭構造が特徴的で、同じく二郭構造の武田系城郭が集中する御前崎市新野地域と同様、高天神城への策源地化した蓋然性が高いと指摘。「勝頼の極めて広大で強力な軍事行動が読み取れる」と考察しました。

水野会長と平井事務局長の発表を詳しくまとめた論文、川村副会長の関連論文は同日発行した機関誌『古城』61号にも掲載していますのでご覧下さい。
(文責:金刺信行)

第256回見学会の報告

武田の忠臣・真田氏と小田原北条氏との激戦地であった北上野の城郭を堪能できました!

箕輪城跡の郭馬出

5月14・15日の一泊二日見学会は、あいにくの天候ではありましたが北上野(群馬県北西部)における真田系城郭と後北条系城郭の構造を堪能することができました。今回の主なテーマは、武田勝頼の忠臣であった真田一族の北上野における拠点城郭とそこを烈火のごとく侵略しようとする小田原北条氏の最前線城砦の縄張り見学でありました。

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第255回見学会「謎の山城・浄福寺城と氏照」 参加報告

浄福寺裏から険しい山道を登り、本曲輪を目指す

数少ない小田野城の残存遺構を見学

本曲輪で昼食

城域北側の大堀切斜面を注意しながら下りる見学者

畝状空堀を観察する見学者

副住職様のご厚意で、浄福寺本堂を見学

貴重な仏像や曼荼羅なども文化財も見学させていただきました

3月19日(日)、春霞のうっすらと漂うまずまずの晴天のもと、「北条氏照の城郭シリーズ」の第3回目、八王子市の浄福寺城を中心とする見学会が、22名の参加者を得て行われました。

3連休の中日とあって朝から高速道路は混雑気味で、圏央道では渋滞に遭ってしまい、予定より20分程遅れて最初の見学地である小田野城に到着しました。同城は、北条氏に仕えた家臣の小田野源太左衛門の居城であるという説がありますが、土取り工事等で遺構の大半は失われ、現在は虎口状の遺構や段状に連なる曲輪の一部が残るのみです。参加者は、わずかに残る遺構や浄福寺城の位置を確認していました。

そして、11:30頃にいよいよ浄福寺に到着。お寺に挨拶を済ませた後、お寺の裏手の山道から一路本曲輪を目指しました。途中、適宜休憩を取りながら急な山道を登ること約30分。途中の竪堀や腰曲輪、虎口などを観察しながら一人の落伍者もなく、お昼には無事本曲輪に到着しました。

本曲輪で昼食を取った後、今度は東側・北側に連なる尾根の遺構を目指します。急な斜面を滑り降りるように下りたり、道なき道を歩いたり、困難なコースの連続です。それでも、連続する堀切や関東地方には珍しい畝状空堀、枡形虎口など良好に残っている遺構を目の当たりにして、感嘆の声を上げている参加者が多かったように思います。

城内を見学すること約3時間。ケガ人もなく、参加者は無事山を下りて麓の浄福寺に戻ることができました。浄福寺では、副住職の廣澤様のご厚意で本堂に入れていただき、数々の仏像や曼荼羅、襖絵、復元された駕籠等々、貴重な文化財を見学することができました。浄福寺城を築城したともいわれる国衆の大石氏に関連する物を思いがけず見学する機会に恵まれ、大変勉強になりました。副住職様はじめ浄福寺の皆様に厚く御礼申し上げます。

浄福寺城は、北条氏照の初期の居城とも、天正期の八王子城の出城的機能を果たした城郭ともいわれ、その築城年代、築城者などは謎に包まれています。参加者一行は、実際に遺構を観察しながら築城当時の状況に思いを馳せているようでした。

(文責:望月保宏)

 

第254回見学会「井伊氏の牙城・三岳城と直虎」参加報告

整備された井伊谷城本曲輪

平成29年(2017)1月15日(日)、今年年頭の見学会は、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台でもある浜松市北区引佐町の井伊谷とその周辺の見学会でした。大河ドラマで話題の舞台ということもあって今回も盛況で、見学者は“満員御礼”の32名となりました。

当日は、前日降った雪が残り、時折雪がちらつくものの、晴れ時々曇りのまずまずの晴天でした。

朝8時に静岡駅南口を出発したバスは、浜松西ICを出て一路井伊谷へ。先ず井伊氏の「詰めの城」ともいわれる井伊谷城に登りました。井伊谷城は大河ドラマで直虎がとり上げられると決まってから整備がされたようで、新しい看板があり、城に行く山道も整備されてありました。山頂の本曲輪周辺も、展望台が築かれたりベンチが置かれたりして、かつてよりもきれいに整備されていました。

井伊谷城を見学した後は、麓にある浜松市地域遺産センターへ。ここは見学会当日オープンということで、かなりの人出でした。ここでは、井伊谷の歴史がわかる資料が豊富に展示されており、大変よい勉強になりました。

「一の城」虎口(門跡)周辺

雪が残る三岳城本曲輪で雄大な景色を堪能する参加者

その後、今日のメインの見学地である三岳城へ。バスで三岳神社の駐車場まで行き、そこから山頂を目指したのですが、一帯は前日降り積もった雪で滑りやすくなっており、普段よりかなり苦労しながら山頂の本曲輪にたどり着きました。一行はそこで昼食をとり、雪景色の三岳城と、城から見える浜名湖周辺の雄大な景色をしばし堪能しました。その後一旦北西斜面に下り、周辺地域の城郭では珍しい石塁などの遺構を見学し、東側の曲輪、堀などの遺構をじっくり観察しました。

次に、再び井伊谷集落に戻り、渭井神社と隣接する天白磐座遺跡を見学しました。天白磐

「おんな城主直虎」のロケ地にもなった天白磐座遺跡

座遺跡は古墳時代から古代の祭祀遺跡で、井伊氏とも関係が深いといわれ、大河ドラマのロケ地にもなった所です。見学者の皆さんは磐座遺跡の神秘的な雰囲気を感じながら見学していたようでした。

次に、これまた井伊氏と関係が深く大河ドラマのロケ地として人気が急上

井伊家ゆかりの龍潭寺で乘松理事の説明を聞く参加者

昇中の龍潭寺に行きました。龍潭寺は、お客さんはかなり多かったものの多少余裕はあり、直虎をはじめ井伊家代々の当主や重臣の墓、門や建物などをしっかりと見学することができました。

最後に、当日午後にオープンしたばかりの大河ドラマ館を見学しました。

「おんな城主直虎」大河ドラマ館外観

ここはやはりオープン初日とだけあって、夕方に行ったものの人出が多く、かなり混雑した中での見学になりました。大河ドラマ館には、ドラマのセットを再現したコーナーや出演者の衣装などが展示してあり、ドラマの今後の展開にも非常に興味を注がれるようなものが並んでいました。

以上、今回の見学会は見学地も盛り沢山で、大河ドラマの世界を存分に楽しむことのできた見学会だったと思います。雪景色の三岳城も、登るのには少々苦労しましたが、十分思い出に残る風景ではなかったかと思います。(文責:望月保宏)