駿府城 レポート1 ― 坤櫓見学会 ―

静岡市は駿府公園から「駿府城公園」へと名称を変え、平成元年から始まった史跡整備事業も順調に進み、そのたびに発掘調査等も実施し話題を提供してきました。県都ととして誇りある大御所家康の駿府城は国の一級史跡でもあり、本会も白眉なテーマとして定期的にレポートをお届けしたいと思います。(水野)坤櫓2

9月末日、静岡市が進めている駿府城公園整備の一環として坤櫓工事の最終見学会が実施された。同公園整備事業は平成3年に策定し、巽櫓、東御門、紅葉山庭園と順次復元整備が進み、今年度は二の丸南西隅にあたる坤櫓が完成真近となった。坤櫓8坤櫓1
構造は木造二層三階の本瓦葺入母屋造で、高さは14mと威容を誇る隅櫓です。建築工事費は 6億3千万円(内2億円が木材費)の費用を投じました。(水野)

 

9月28日(土)駿府城公園に建設中の『坤櫓』(ひつじさるやぐら)見学会が行われ水野会長と小川が参加しました。当日は午前4回・午後4回の計8回行われ約200名を超す参加者がありました。

駿府城は、古くは今川時代の館跡、徳川家康が築いた駿府城と歴史上重要な場所であり、昨年の4月から駿府公園は駿府城公園と名称が変わりました。

下層石垣は家康期のもので刻印が確認された

下層石垣は家康期のもので刻印が確認された(平成19年3月の現地説明会)

二層三階の最上段から家康も見た富士山

二層三階の最上段から家康も見た富士山

今回の『坤櫓』も歴史的遺産の保存整備を目的とした駿府公園整備計画の一貫として平成23年から平成26年3月完成予定で進んでいます。

家康が築いた駿府城は、幾度となく火災や地震などの災害により建替えが行われました。復元にあたり「駿府御城惣指図」、「駿府御城内外覚書」を元に不足部分は徳川家の城である名古屋城の西南隅櫓など現存するものを参考にして建てられています。一般公開は平成26年4月を予定されています。(小川)

 

鳥羽山城跡現地説明会の報告

さる9月29日(日)鳥羽山城跡発掘調査現場の見学会が行われ、当会として水野会長、会員の乗松、宮川、寺島、小川、午後の部には望月副会長と会員の澤田さん、また、遠方(埼玉県)より中世城郭研究会の関口和也氏も参加しました。

本丸入口の隅石(初期的な算木積)

本丸入口の隅石(初期的な算木積)

駐車場に集合し賑わう参加者

駐車場に集合し賑わう参加者

現地でお逢いした中世城郭研究会の関口氏

現地でお逢いした中世城郭研究会の関口氏

鳥羽山城は、徳川家康が天正三年に武田方の二俣城を攻略するために築いた陣城として知られ、天正十八年、家康の関東移封後は豊臣秀吉臣下の堀尾吉晴が領主となり、二俣城と共に石垣等が整備され、庭園や広い大手道がある鳥羽山城は領主の日常生活や儀式の場とし、二俣城は大規模な堀切を設けるなど戦を意識した作りとなっている。

大手道

大手道

今回の見学会は、本丸西側で新たに発見された大規模な石垣群を中心に過去の発掘調査現場を合わせて発掘担当者から丁寧な説明ありました。

大手道の雨水抜き溝

大手道の雨水抜き溝

石垣は自然の石をそのまま積み重ね、大型の石の間には小石を詰める「野面積」の手法が用いられ、本丸を囲む総延長170mにおよぶ(鉢巻石垣や腰巻石垣…説明員の呼称)石垣群は圧巻でありました。

織豊系の石工技術を伝える石垣

織豊系の石工技術を伝える石垣

同城は土づくりの実践的な中世城郭から、政治の場としての性格を帯びた高い石垣を持つ城郭へ移り変わる渦度期の姿を良好に示しており、城郭の変遷を探る上で指標的な事例として注目されています。(小川)

腰巻石垣

腰巻石垣

鳥羽山城跡 現地説明会のご案内

浜松市文化財課では、平成25年9月に鳥羽山城の大手道及び本丸周辺の発掘調査を実施します。大手道では道幅や階段の確認、本丸では周辺を巡る石垣の範囲確認を行います。まだまだ、多くの謎が残る鳥羽山城の実態を広く知っていただくため、下記の通り現地説明会を実施致します。この機会に、貴重な地域の文化財に触れてみてはいかがでしょうか?

  • 日 時 平成25年9月29日(日)
  • 午前10時と午後1時の2回実施(少雨決行)
  • 参加費無料、申し込み不要です。
  • 集合場所 鳥羽山公園駐車場
  • 内 容 主な遺構の見学と発掘調査で出土した遺物の展示
    ※ 調査を担当した職員が説明いたします。
  • お問合せ先 浜松市埋蔵文化財調査事務所
    TEL 053-542-3660