新発見の高平山砦について(森町下飯田)

近年、本会では『静岡県の城跡-中世城郭縄張集成図-』(西部・遠江国版)の報告書発刊に向けて現地調査を実施している。今回は、特に森町教育委員会の協力により森町飯田地域で山城が2か城も発見に及び、重点地域として袋井市北部の宇刈北城と本庄山砦、森町で発見した高平山砦と下飯田砦、飯田城、飯田古城、上飯田砦の7か城周辺を対象域とした。しかし、太田川東岸の狭い地域に異常とも思える密集城郭群は、何を意味していたのであろうか。当該での抗争史を伝える関係資料は乏しいが、元亀3年(1572)、武田信玄の遠江侵攻から、天正3年(1575)の長篠合戦までの3年間にわたる、武田・徳川両軍の抗争の中で軍事運用されたと考えられる。
7か城すべてを紹介できないが、城郭遺構からある程度の年代観を導き出される本庄山砦と北隣りで発見された高平山砦の2城を取り挙げたい。

本庄山砦、高平山砦

左上の小さい丘が本庄山砦、中央の茶園右一帯が高平山砦

続きを読む

さらに発見!髙天神城攻め付城群か

1月18日の見学会『なぜここに!!「家康の高天神城攻めと新・付城」』の目玉である新発見「茂平地砦」近くの独立丘陵で、本会の乘松理事、小川理事が新たに連続竪堀遺構を発見! 小字から「長谷砦(ながや砦)」としましたが、詳細は見学会で報告いたしますので、ご期待ください。

長谷砦の連続竪堀遺構

高天神城大手口の南域で山城発見


『静岡県の城跡-中世城郭縄張図集成-』(西部・遠江版)の調査・編纂事業は、平成25年度から始まっている。今年は、東遠地方(吉田町・牧之原市・御前崎市・菊川市)と中遠地方の森町・掛川市域で進め、特に調査委員全員で旧大東町の高天神城周辺の城砦群を再調査した。まだ、調査域の半分程度であるが、下土方地区と岩滑地区の二か所で山城の発見を見た。ここでは、下土方畑ヶ谷で確認した「茂平地砦」を取り上げたい。

茂平地砦(左丘陵) 下土方畑ヶ谷には「畑ヶ谷砦」が知られ、その西の「茂平地」地名の丘陵上(写真左側)に存在。写真右側は高天神城西の曲輪・高天神社から南に延びる支尾根で、近くに「門口」地名があることから大手口を押える位置関係にあった。

続きを読む

大仙山城(西原小屋)の遺構を発見!

大仙山城

大仙山城

伊豆半島の付け根に位置する函南町畠毛字岩山の大仙山城(標高180m)は、『静岡県の中世城館跡』(1981年 静岡県教育委員会)や『ふるさと古城の旅』(1998年 水野茂著)に取り上げられているものの、その縄張り構造については当時の調査域が山頂部中心の狭い範囲だったためか明確な城郭遺構はなかったと考えられていた。

さる6月5日、本会理事で裾野市に住む宮川茂美さんは、友人である相模の原明利さんとともに、この要害・大仙山城の悉皆調査を敢行した。その結果は目を見張るもので、山頂から南東側を急斜面で下った尾根按部に明確な二つの堀切と平場・土塁を発見。さらに山頂の北尾根の中腹に出城(北砦)と思われる曲輪とその谷側に石積みされた井戸跡を、また、南尾根の先端にも小砦跡(南砦)を発見する快挙を成し遂げた。現地は峻険な地形で人を寄せ付けない山容のため、これまで調査を阻んできた感があったが、二人の果敢な連携調査により大仙山城の全容が明らかになってきた。

宮川さんからの精査依頼を受けて、水野会長・望月副会長・小川理事が6月15日に現地の確認および縄張作図を行ったが、以下に、水野会長がまとめた考察を掲載する。(平井)

続きを読む

本川根町千頭の標高1,210mに砦遺構発見!

平成15年(2003年)に刊行された『本川根町史』通史編1・第一章「遠江国山香庄と駿河国徳山」に、「山香庄マトお尾羽」(251頁)について述べられている(執筆者:大塚勲氏)。

本川根町千頭の敬満大井神社所蔵の鰐口の銘について、昭和7年(1932年)発行の『静岡県史料』第一輯を引用して解説しており、鰐口に刻まれた「大盤神社」が、千頭駅から北西に延びる山岳稜線を4〜5 km登った標高1,000m付近の「マトウハネ」にあったと記している。さらに興味を引いたのが『ここには城が構えられていたとも云われていて、北側斜面の字が「城下」となっている』のフレーズだった。

続きを読む